ガイナーレ鳥取 「田んぼの中の敗者復活戦」

念願のJ昇格! 月給20万円弱の若手、
戦力外通告を突きつけられた元日本代表の男たち

メインスタジアムの周囲は田んぼ。"野人"岡野の人気とスピードは顕在である 〔PHOTO〕山内一峰

 横浜出身の岡野は不良生徒を更生する島根の高校に進んだ。

 正式部員二人のサッカー部で、20—0で負け、「柄の悪いヤンキー」と他校に蔑まれながら、不良軍団を叱咤。

 3年生の時、県大会で3位に入ると部員たちは男泣きした。

「サッカー人生、守りに入っちゃいけない。高校に入るまではどうしようもない奴で。

 サッカーのおかげで大学に行けて、プロにスカウトしてもらって、代表に入っちゃってW杯出場のVゴール決めて、浦和でも何度もタイトルを取った。

 おカネは後から付いてくる。身体が動く限り、"やれんだぞ"と気合を入れますよ。サッカー人生がうまく転がることを信じて」

 野人は走り続ける。

W杯2度出場のキャプテン鳥取に持ち込まれた世界基準

 もう一人のベテランは服部年宏(37)だ。

ガイナーレのキャプテン服部はW杯出場2度の経験を若いチームに伝えている 〔PHOTO〕山内一峰

「ボールを奪い取る瞬間が好きです。勝負どころで行けなくなった時でしょうね。僕がサッカーを辞めるのは・・・」

 卑屈になることも驕ることもなく、飄々としているが、サッカーに対する真剣さは地元紙番記者がたじろぐほどだ。

 '94年にJリーグにデビューすると、'96年アトランタ五輪では右サイドで出場し、王国ブラジルを下す「マイアミの奇跡」を演出。

 相手選手との間合いを見極め、瞬時にボールを奪う技は日本代表でも群を抜いていた。'98年、'02年のW杯に連続出場し、'03年まで代表44試合に出場。

 所属するジュビロ磐田では中山雅史、名波浩、藤田俊哉らとタイトルを総なめにし、黄金時代を築き上げた。

 しかし、'06年、磐田を退団後は、3シーズン所属した東京ヴェルディで戦力外通告を受け、'09年末でJでの就職先はなくなった。