永田町インサイド 次の総理は馬淵かもしれない
「歩く人災」菅直人、ようやく退場

有名であることは、有能であることと関係がない。同様に、無名だからといって無能なわけでもない。今の政界に必要なのは、名ばかりの無能人ではない。実力によってその名を成す、真の能力者だ。
「夏の陣」は8月で決着
〈「軍略は、わしというこの浮世で評価のある者がやってはじめて成功するのだ」〉
〈「左衛門佐(幸村)は」〉
〈「とうてい、この軍略をおこなえない。まず大坂城中の者が、そなたの才を信用せず、そなたの申すがように動こうとはしない。人間というのは過去から現在までの世間における履歴で事をなせるのだ」〉(『城塞』司馬遼太郎)
たとえそれが軍略でも政治でも、「無名」という事実が致命的であることは、古今東西変わらない。
真田幸村は父・昌幸からそれを指摘されていながら、あえて大坂城に入城した。天下の徳川家康を相手に大いくさを演出し、自分の才能を存分に発揮することができるならば、もし敗れて散ろうと、それはそれで構わないと考えたからだ。
そこまでの覚悟があるかどうかはまだ分からない。だが、混迷が続く現代日本の政界で、幸村と同じように知名度不足の問題を抱えつつ、あえて次期民主党代表選への出馬の意思を見せている者がいる。馬淵澄夫前首相補佐官だ。
「覚悟は持っている。当選3回を超えれば、ある意味、政治家としての国会内外の経験という点では、一定のレベルを超えたと判断してもらえるだろう」
馬淵氏はそう語り、菅直人首相退陣後の次期総理の座に強い意欲を示す。
現在、永田町では「菅首相が8月中に辞任する」「いや、周囲が辞任させる」という観測が強まり、風雲急を告げつつある。
その動きの中心となっているのは、小沢一郎元代表と鳩山由紀夫前首相のグループだ。鳩山氏は8月3日、党所属の議員との会談の場で、「この1週間、10日間が山場だ」と語り、お盆までに何らかの〝決定的事態〟が生じると示唆した。
「鳩山氏は7月下旬に特使としてペルーへと出発するにあたって、菅首相から『(辞める)約束は守る』という言質を取った。それでも、お盆までに菅さんに辞める気配がないようなら、小沢氏と連合軍を組み、再び菅降ろしに動くということです」(民主党幹部)
一方で小沢氏のほうは、8月31日の会期末までに、内閣不信任案を提出することを画策中という。
「菅でなければ誰でもいい」
小沢氏はそう語り、仮に不信任案提出を党執行部が認めない場合は、鳩山氏らとともに新党を結成し、ついに民主党を割る腹積もりでいるとされる。
民主党内には100名を超える小沢・鳩山連合軍のほか、首相退陣を求め署名活動を展開する長島昭久前防衛政務官を中心とした50名以上の〝反乱軍〟もいる。事ここに至れば、いくらなんでも常識的に、菅首相は辞めざるを得ない。
「人災」が服を着て歩いていたような菅首相は退場し、民主党新代表、新首相がもうすぐ誕生することになる。その時、混乱の真っ只中にあるこの国を立て直すのは、誰の仕事になるのか。
見方によっては火中の栗を拾うようなこのポスト菅レースに、真っ先に参戦の名乗りを上げたのが、馬淵氏である。
奈良1区選出の馬淵氏は、ご本人の言うとおり、現在当選3回目の50歳。若手が多い民主党内では中堅に位置する存在である。
奈良市生まれの馬淵氏は、横浜国立大学工学部土木工学科を卒業した後、建設会社やコンピューター関連商品の製造・販売会社などを経て、'00年の総選挙に初出馬。その時は惜しくも落選したが、'03年の選挙で初当選を果たす。
「建設会社の次に勤めた会社で最年少の役員になったのですが、ご本人いわく、最初は草むしりばかりやらされたと。でも真面目にやっていたら会長の目に留まり、お抱えの運転手になった。ある日、大阪の高速道路で渋滞にハマってしまい、『なんとか間に合わせろ!』と言われた。すると馬淵氏は、路肩に車を寄せてバックで高速道路を逆走し、近くの出口から出て間に合わせたと。それが評価されて役員に抜擢されたと聞いています」(民主党中堅議員)
無茶苦茶な話だが、本人が各所で語っているというから事実なのだろう。趣味がボディービルであることや、そのコワモテぶりから「ターミネーター」の異名も持つ馬淵氏だが、実際の行動もアーノルド・シュワルツェネッガー顔負けだ。