瀬戸内寂聴vs塩野七生「どうやって死にましょうか」

「現代ビジネス」創刊記念対談〔後編〕
現代ビジネス

塩野 でも書いているとき、じっさいはわたし一人なんだけど、自分が書こうとしている人物がいっぱいそこにやってきて一人じゃないんです。

瀬戸内 それは書いて欲しい人があなたに乗り移るからですよ。そういうときは手が勝手に動くでしょう。それがいいのよ。自分の頭で書いているうちはまだ普通なんです。

塩野 あんまり考えないほうがいいみたい。

瀬戸内 あなたはあれだけの大作を書いているのよ。正気じゃ無理でしょう。あれは乗り移っているんです。わたしが『源氏物語』を書いていたときにも、このあたりに紫式部や源氏が来るのよ。何か肩のあたりがほうっと温かくなる。

塩野 たしかにそういうことってありますよね。

瀬戸内 書き出したら、さーっとくっついてくれるの。それで本当にちゃんと自分の思い通りに書けたときには、変な言葉だけどイッた!って感じない?(笑)。それで一気に疲れが飛んでしまう。

塩野 だけどわたしが書いた(ローマの将軍)ユリウス・カエサルは、ガリアに10年くらい遠征していますが、戦争をしている間はセックスが必要ではなかったと思うんです。

瀬戸内 ずーっと精神がイッてるから(笑)。

慎重になりすぎていませんか

塩野 わたし、原稿に向かうと男になっちゃうんです。先生は書き上げたときには、編集者がお祝いしてくれるんですか。

瀬戸内 編集者によりますね。

塩野 それは脱稿したときより書店に並んだときですか。

瀬戸内 やっぱり売れたときじゃない(笑)。担当の女性編集者が泊まり込みで原稿を待ってくれたときは、なんとか仕上がると思わず抱き合って泣いたりする。そのあと、シャンパンで乾杯!

塩野 わたしは先生も師匠もいないし、文壇も関係ないんですが、寂聴先生は丹羽文雄一門なんていわれていましたよね。

瀬戸内 一門って言葉はいやだけれど、丹羽さんのところへ「文学者」の同人にしてもらって行っていました。丹羽さんはお金を出して「文学者」という同人誌をつくって後進の育成をされていたんです。作家でそんなことをされたのは丹羽さん一人です。そこは書き手がお金を出さないでも原稿を載せてくれました。そんなとこってないですよ。

塩野 偉いですね。

瀬戸内 丹羽さんは偉かったのよ。あそこから作家になった人はたくさんいるんです。河野多惠子さん、津村節子さん、吉村昭さん、竹西寛子さん、新田次郎さん、立原正秋さんでしょ。それにわたしでしょ。随分出ているんです。だけどわたしは丹羽さんを一度も文学の先生だと思ったことがないの。文学の世界には師も弟子もないのよ。盆暮れに挨拶に来ていないって、いわゆる弟子たちから悪くいわれていたらしいけれど、行かなかった。

塩野 ああ、なるほどね。そういうことってよくありますよね。