史上初の大調査
著名人100人が最後に頼った病院
あなたの病院選びは間違っていませんか

週刊現代 プロフィール

「自宅」という選択

〔PHOTO〕gettyimages

 自分で病院を設立し、そこで息を引き取ったという稀有なケースを紹介したい。その人物は松下幸之助氏。病院は松下記念病院だ。松下氏が94歳で亡くなる'89年まで側近として23年間、松下氏とともに過ごした江口克彦参議院議員が語る。

「幸之助は生来、身体が弱く、20代半ばで吐血し、一時は死を覚悟したこともあったそうです。彼の両親も、7人いた兄弟も病弱で、幸之助が30歳になる前には全員が亡くなった。そのために人一倍、体調には気を遣っていて、自身と従業員の健康管理のために病院を作ったのです。

 幸之助が発した最後の言葉は、医師に向けてのものでした。亡くなる1週間ほど前、気管に溜まった痰をチューブで吸いだす際に、主治医が『これから喉に管を入れますが、ご辛抱ください』と声をかけたところ、幸之助は『いやいや、お願いするのは私の方です。先生、よろしくお願いします』とかすれた声で応じた。常に人を思いやる、そういう気持ちが込められた幸之助らしい言葉だと思います」

 最後に、企画の趣旨から少々外れるが、病院を頼りながらも、死に場所には「自宅」を選んだ例を紹介する。劇作家の井上ひさし氏だ。

 井上氏は腺がんだった。手術が不可能なところまで容態は悪化し、74歳('09年当時)の井上氏は、放射線治療も受けられない。茅ヶ崎徳洲会総合病院の大江元樹医師に全幅の信頼をおき治療を続けていたが、いよいよ後がないという時点で、井上氏は自宅に戻った。三女で、井上氏の劇団を継いだ井上麻矢さんが語る。

「亡くなる前日、奥さんのユリさん(麻矢さんの継母にあたる)から『もう自宅に戻る体力はそんなにはないと思うの。戻すには明日しかないような気がする』と相談を受けました。それで『明日の朝一番で自宅に移そう』と。父は生前、ユリさんに『絶対に家で死にたい。病院では死にたくない』と言っていたのです。人は自分の家のベッドの馴染んだ匂いとか音に囲まれて死にたいと思うのではないでしょうか」

 自宅に戻ったことで、井上氏は安心したのかもしれない。その日のうちに、安らかに息を引き取った。看取ったのはユリさん、麻矢さん、そして異母兄弟の3人。この3人に看取られることも、生前からの井上氏の望みだったという。

 最後の病院選びは、著名人にかぎらず、誰にでも悩ましい問題だ。あなたの理想の最後は、みつかっただろうか。

「週刊現代」2011年8月13日号より