史上初の大調査
著名人100人が最後に頼った病院
あなたの病院選びは間違っていませんか

週刊現代 プロフィール

 橋本龍太郎氏は当時68歳。発症の原因がわからなかったため、病院側から病理解剖させてほしいという依頼を受けた。

「父は厚生大臣の経験もある。今後の医療に貢献できるならということで、依頼をお受けしました」(岳氏)

 また、元農林相の松野頼三氏も、'06年に、かかりつけだったせんぽ東京高輪病院(旧・東京船員保険病院)に緊急入院し、そこで89年の人生の幕を閉じた。長男の元官房副長官・松野頼久氏はこう語る。

「父は人からダンディなどと言われ、洋服や食べ物などがブランド志向であるかのように思われていますが、実際は違います。吉野家の牛丼が好物だった。病院選びも同じで、ブランド志向はなかった。親しい先生がいるからと、船員保険病院に通っていました」

 入院の2~3日前から、しきりと「胃が痛む」と訴えていた。本人は胃の痛みだと思っていたが、実際には心臓の痛みだった。病院に運びこまれ心臓マッサージを受けたが、そのまま帰らぬ人となった。

セカンドオピニオンで転院

 馴染みやかかりつけの病院で亡くなる方がいる一方で、突然の病魔に襲われ、自らの選択ではなく、担ぎ込まれた初めての病院を最後の場所とする場合もある。昨年の、コメディアンの谷啓氏の入院も、突然の出来事だった。

「私が2階に物を取りに行こうとしたら、階段の手前に主人がうつ伏せで倒れていたんです。『何でこんなところに横たわっているの?』と声をかけたが返事がない。とりあえず主人の足を横にずらして2階に上がり、降りてきたらまだ倒れている。おかしいと思って『どうしたの? どこか打ったの?』と声をかけたのですが、返事がありません。あわてて救急車を呼びました」(夫人の渡部和子さん)

 病院は三船氏と同じ、杏林大学医学部付属病院。自宅に近いということと、和子さんが、以前、同病院で手術を受け、信頼していたということもあった。

「設備もしっかりしているし、雰囲気も明るい。入院していても、居心地がよいので、杏林にとお願いしたのですが、手遅れでした」(和子夫人)

 集中治療室に入ってしばらくして容態が急変、そのまま78年の生涯を閉じた。

 元参議院議員で東京都知事の青島幸男氏の場合は、本人も、家族も入院先を選ぶ状況ではなかったという。娘でエッセイストの青島美幸さんが語る。

「'06年に自宅で転び、近くの順天堂東京江東高齢者医療センターに入院しました。すぐ退院と思っていたら、1ヵ月後に亡くなった。部屋は特別室ではなく、8畳くらいの普通の個室です。父は始終『座して半畳、寝て一畳』と言い、『人間、象のようには食べられない。どんなに食べても2合半。何事も適量がいいんだ』と言っていました。見栄も欲もなかった。私は母と毎日見舞いに行きましたが、父は面白いことしか言わず、よく笑っていました」