史上初の大調査
著名人100人が最後に頼った病院
あなたの病院選びは間違っていませんか

週刊現代 プロフィール

 慈恵医大病院の猿田雅之氏(消化器・肝臓内科)が、高い支持をかちえている理由を語る。

「私共の建学の精神『病気を診ずして病人を診よ』は創設130年を経た今も全医師の精神として息づき、患者さん本位の教育、研究、医療を通じて先進医療や地域医療で活躍する医師が育っています。当院では患者さんを他科に診てもらうときも協力的で、迅速に対処できます。全国のOBとの連携もスムーズです。これら院内外での横のつながりの中心にある患者さんと、人として真摯に向き合い、納得いただける説明をするという姿勢が、信頼につながっているのだと思います」

 東京女子医大病院や聖路加国際病院はどうか。

「東京女子は心臓病に圧倒的に強かったのが人気の秘密です。聖路加は日本で初めて全室を個室にした名門病院で、品があって環境もいい。がん末期の緩和ケア(ホスピス)に実績がある点も、人生最後の場に選ぶ著名人が多い理由の一つでしょう」(前出・吉原氏)

 石原氏と並ぶ昭和の巨星・美空ひばりさんは、順天堂医院で、52歳の若さで亡くなった。ひばりさんの闘病は、「歌手として」生きるためのもので、その意志を尊重してくれる病院こそが「良い病院」の基準だった。

 ひばりさんを蝕んでいたのは大腿骨骨頭壊死。大腿骨の上の部分がボロボロになっていく病気で、時間の経過とともに壊死が進み、痛みも激烈になってくる。

「最初に足が痛いと言いだしたとき、都内の病院で調べたのですが、原因がわからない。『気のせいだろう』ということになって、そのまま2年間。周りも、何もわからないまま、『運動不足だから歩いたほうがいい』とか言って。最初の診断がちゃんとしていれば、絶対にあり得ないことをやっていた。そんな状態で映画を撮り、舞台もやりました。そんななか、知人から福岡の済生会病院を紹介されたのです。行ったその日に、即入院となりました」(息子でひばりプロダクション社長・加藤和也氏)

 このとき出会った小川滋院長に、ひばりさんは全幅の信頼を寄せた。良い医師、良い病院と出会えたのは幸運だったが、問題は大腿骨だけではなかった。肝硬変も発見されたのだ。

「肝硬変の治療も福岡で受けました。大腿骨のほうは、手術をして丸いプレートを入れるしかないが、稀に筋が傷んで曲げ伸ばしができなくなることもあるという。その話を聞いて、母は『立てなくなる、歩けなくなるというリスクが少しでもあるなら、私はこのままがいいです』と断りました。万一、舞台に立てなくなったら意味がないと考えたのです」(加藤氏)

 肝臓は一時良くなったが、その後再び悪化。入退院の後、伝説の「東京ドームコンサート」を迎える。

「やらせたくなかったが、母の意志は固かった。小川院長も福岡から来てくれて、ステージもつきっきりでいてくださった。痛み止めは打っていません。打ったらヘロヘロになってしまう。痛みを抱えたまま最後までやりぬきました」(加藤氏)