史上初の大調査
著名人100人が最後に頼った病院
あなたの病院選びは間違っていませんか

週刊現代 プロフィール

 聖路加病院を最後の病院に選んだのが、今年5月、胃がんで77歳で亡くなった、俳優の児玉清氏だ。

 最初は別の病院で抗がん剤治療を始めたが、1回目で「体力的に2回目は難しい」と言われ、知人の紹介で聖路加病院を選んだ。長男の北川大祐氏が語る。

「緩和ケア病棟に入ることによって、体力が回復するかもしれない。そうすれば、再び抗がん剤治療ができるかもしれないという思いで、転院しました。

 緩和ケア病棟ですから、医師からは入院したときに、いずれくる最後の時に向けて、心構えなどを聞かれました。延命治療を望むか、家族にも本人にも尋ねられました。我々は、『そういうことは結構です。なるべく楽にお願いします』とお願いしました」

 体力の回復は無理だったが、緩和ケアは十分満足のいくものだった。痛みのコントロールも万全で、がんの痛みで苦しむということはなかった。病院嫌いで知られた児玉清氏も、心ある看護に喜んでいたという。

「聖路加の医師や看護師さんには本当に良くしていただいた。今も感謝しています」(北川氏)

 昭和を代表するスター・石原裕次郎氏は、自らが慶應大学出身ということもあり、慶應病院にこだわっていた。'71年の肺結核のときも、熱海の病院で療養する前に慶應病院に入院している。'78年に患った舌がんは慶應病院では治療が進まず、東京大学医学部附属病院で治療し、快癒した。しかし、その後もかかり続けたのは慶應病院だった。

 慶應病院では、当時の最先端の治療を受け、看護体制も守秘義務も万全だった。医療チームに対する信頼も厚く、入院中の石原氏も常に前向きだったという。ただ、'87年5月に最後の入院となったときには、予感めいたものがあったらしい。

 石原氏が解離性大動脈瘤で緊急入院した'81年から、52歳で亡くなった'87年まで石原氏の担当だった、石原プロモーションの仲川幸夫氏は当時を振り返る。

「あのオシャレな人が、パジャマにガウンの姿で入院したのです。こんなことはかつてなかった。家を出るとき、奥さんに言ったそうです。『もうこの家には帰ってこないだろうな』と」

医師との信頼関係

 大病院が選ばれる理由について、医療ジャーナリストの吉原清児氏はこう解説する。

「一番はプライバシーの管理がしっかりしていること、二番目は個室を含めた療養環境と診療体制が整っていることでしょう。順天堂にはVIP外来があり、完全予約制でプライバシーも守られる。慶應にはVIP外来はないが、一流のブランド力がある。もちろん、これらの病院に、診療科にもよりますが日本を代表するような名医がいるということも理由の一つです」