乃木希典 vol.7

日露戦役から凱旋。天皇の命で、乃木は学習院院長に

vol.6 「旅順陥落で歓呼する陣中。乃木は一人涙を流した」はこちらをご覧ください。

 ステッセルの降伏は、日本軍にとっては僥倖とも云うべき出来事であった。

 降伏時、旅順のロシア軍はいまだに二万人以上の兵力を有していたのである。

 たしかに、旅順艦隊を保全するという最大の任務は、全う出来なかった。艦隊が全滅したため、日本海軍は港湾の封鎖という面倒で厄介な任務をとかれ、帰国して艦艇、機関の整備や、乗員に休養を与える事が出来、結果として日本海海戦で、バルチック艦隊を全滅させるという、海戦史に残る大戦果をあげる事が出来た。

学習院乃木は第10代院長に就任。学生と寝食を共にした建物は今も「乃木館」として残る

 けれども、ステッセルの判断には、疑問符が付く。

 一万の軍勢をもって、ステッセルが旅順で持久を貫けば、乃木軍はその全体と云わないまでも、多くの部分を割いて対応せざるを得なかっただろう。

 そうなれば、乃木の率いる第三軍の北上は遅延せざるを得ず、またその動員規模も縮小せざるを得なかったろう。

 実際、奉天北部で、日本軍を迎撃する作戦を立てていた、クロパトキン司令部は、当然、ステッセルが持久態勢をとり、乃木軍を追撃することはなくても、牽制行動を行うだろうと考えていた。考えていた、というよりも信じていた。軍事的な常識に鑑みれば、クロパトキンの「期待」は当然のものであろう。

 食料等についても、三ヵ月分に相当する備蓄があったのである(ただし生野菜の不足は深刻で壊血病が蔓延していた)。

 戦後、ステッセルが軍法会議で死刑判決を受けた(恩赦により減刑)のも故なしとはしない。

 ステッセルの一方的ともいうべき戦意喪失が、日本軍にとってきわめて有利なものだった事は云うまでもない。

 ところが、乃木はこの機会も活かせなかった。

 奉天での会戦に際し、乃木の第三軍は、ロシア軍の背後を遮断し、包囲殲滅するという、重要な任務を負っていたが、包囲を完遂することができず、一部師団、旅団の前線は、ロシア軍の前に寸断される有様だった。

 乱戦のなか、一時は、乃木が捕虜になったという噂が、流れたほどである。

 最終的に前線は維持されたが、ロシア軍主力を殲滅することは出来ず、決定的な勝利を収める事が出来なかった。

乃木が天皇に突きつけたもの

 明治三十九年一月十四日。

 乃木は、大山巌、児玉源太郎ら、日露戦役の司令官、参謀長らとともに東京に凱旋し、そのまま宮中に参内し、復命書を奉じた。

 乃木はただ一人、戦場で着ていた軍服のままの姿で、髭も伸びたままであった。

 天皇の前で、落涙、嗚咽しつつ、復命書を朗読したと伝えられている。

< 而シテ作戦十六箇月間我将卒ノ常ニ勁敵ト健闘シ、忠勇義烈死ヲ視ルコト帰スルガ如ク、弾ニ斃レ剣ニ殪ルル者皆 陛下ノ万歳ヲ喚呼シ、欣然トシテ瞑目シタルハ臣之ヲ伏奏セザラント欲スルモ能ハズ。然ルニ斯ノ如キ忠勇ノ将卒ヲ以テシテ、旅順ノ攻城ニハ半歳ノ長日月ヲ要シ、多大ノ犠牲ヲ供シ、奉天附近ノ会戦ニハ、攻撃力ノ欠乏ニ因リ退路遮断ノ任務ヲ全ウスルニ至ラズ、又敵騎大集団ノ我ガ左側背ニ行動スルニ当リ、此ヲ撃摧スルノ好機ヲ獲ザリシハ、臣ガ終生ノ遺憾ニシテ、恐懼措ク能ハザル所ナリ。

 今ヤ闕下ニ凱旋シ、戦況ヲ伏奏スルノ寵遇ヲ担ヒ、恭シク部下将卒ト共ニ 天恩ノ優渥ナルヲ拝シ、顧ミテ戦死病没者ニ此光栄ヲ分カツ能ハザルヲ痛ム >
(『乃木希典全集 下巻』)

 漢詩人として、一流の資質を持っていた乃木にふさわしい文章だ。文辞に情感が溢れており、真情が直接に迫って来る。

 同時に乃木は、天皇に必死で詫びつつも、何かを突きつけている、というような印象も受ける。乃木は数万の兵を殺したが、その命令者は、大権君主としての天皇に他ならなかった。

 その事実を、直截に乃木は示している。「弾ニ斃レ剣ニ殪ルル者皆 陛下ノ万歳ヲ喚呼シ、欣然トシテ瞑目シタル」。

 明治四十年一月三十一日、乃木は学習院院長に就任した。

 明治天皇は乃木に「おまえは二人の息子を亡くしたから、沢山、子供を作ってやろう」と云ったという。乃木は勝典、保典の二人の息子を日露戦争で亡くしていた。

 近衛文麿の弟で、後に日本を代表する指揮者になった近衛秀麿は、学習院時代の乃木について、< 僕は一つの目的のある仕事に、これほどの熱意と真剣さを注いだ人間像を見たことがない >と記している(『風雪夜話』)。

 その「熱意と真剣さ」は、けして四角四面のものではなかった。むしろ、陽気で開放的だった。

 新入生歓迎会に際して、学監が乃木の名を「キテン」と読んだのに対して、乃木が「わしの名はマレスケというのだ」と訂正した。

 その口調が可笑しいというので、秀麿たちは乃木をからかった。

「おーい、マレスケが追かけて来たぞ。逃げろ。逃げろ」

 皆、第五寮の丘の上に追いつめられそうになると、二十余メートルの崖の上から煉瓦敷きの排水路の中を、一人ずつ尻の下にブリキ板を当てて山の下まで滑り落ちる。

「こらーっ!」

 皆は逃げるが、僕はわざとつかまって叱られるのが楽しみであった。

「頭でも割ったらどうする。大変な親不孝だぞ」

「足くらいならよろしいですか」

「何んだ!」

 その瞬間にはドブの中を崖の下まで滑り下りていた。

「上がって来い」

 上の方から声がしている。

「はーい」

 答えはしたものの、降りる時あわてたので足首を捻挫したと見えて、痛くて立ち上がれない。僕は医務室から看護卒が迎えに来るまで、乃木大将の肩を借りて痛む足を引きずりながら山を登ったのをはっきり覚えている。

「本当に皆、しょうがないな」

 言葉は厳しいが、細められた目が奥の方で笑って居るのだから、少しも恐くない。(同前)

以降 vol.8 へ。

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