「末期がん」からの生還 後編

8人の体験記
患者・家族・医師「奇跡の物語」

 お酒も飲まず、タバコも吸わない。スポーツ好きで、ママさんバレーのチームで活躍していた彼女に宣告されたのは直腸がんだった。手術を受けたのは、2000年月。急逝した夫の三回忌法要の直後だった。

「鹿の糞みたいにコロコロした便が出るようになったのと、だんだん痩せてきたのが気になって検査を受けたんです。でも、5kg、7kgと体重が減ってきたのは、主人を亡くした心労からだと思っていました」

 増田さんには、がんに強い恐怖を抱く理由が他にもあった。若くして胃がんで他界した母親の記憶だ。

「母はまだ39歳。私が19歳のときでした。あの頃は痛み止めをほとんど使わない時代で、痩せ細り、亡くなるまで『痛い、痛い』と苦しんでいた母の姿が焼き付いているので、がんと聞くとその姿が浮かんでしまって。最初は狼狽えました」

 しかし、現実を受け止めなければならない。親戚に相談し、紹介されたのががん・感染症センター都立駒込病院の森武生医師だった。

 「もうちょっと遅かったら危なかった」という増田さんの直腸がんは、直径5cm。筋肉層を越え、脂肪の中まで達していたが、臓器には及んでいなかった。重い糖尿病があったものの、何とか肛門を残し、合併症が出ることなく退院できた。

「おかげさまで生きてます」

 しかし、喜んだのもつかの間。静養先で突然、下行結腸が破裂し、近くの総合病院へ救急搬送された。

「どうして破裂したのか、原因がわからなくて、森先生が電話で手術の指示を出してくださったと聞きました。ありがたかったです」

 3ヵ月後に退院。増田さんは再び元通りの生活を送れるようになった。

 ところが、ようやく落ち着いた'02年4月に局所再発が見つかる。仙骨という背骨の付け根にまでがんが及んでいたため、骨まで切り取る大手術になった。今回は、人工肛門を避けることはできなかった。

大腸がんの局所再発率3.6%という世界一の成績を誇る森医師

「体内の血液がすべて入れ替わるぐらい出血する大きな手術になり、足のマヒを起こす可能性も高かった。切除できるギリギリまでがんがあり、病理検査を繰り返しながら、慎重に骨を削ったんです」(森医師)

 神経にまでがんが及んでいると、通常は「手術不能」となるが、森医師は、がんを取りきるために意識的に神経を切断しても、時間が経てば機能障害が回復するケースを過去に経験していたため、同様の処置を取ったという。

 また、骨盤内全摘となるところを、「何とか尿路系だけは残してあげたい」という森医師の工夫で排尿機能を温存。手術時間は8時間、出血により5000ℓが輸血された。

「手術の前は何も考えられなくて、死を覚悟するということもなかった。ただ生きていればいいなと思った」と増田さんは言う。