「末期がん」からの生還 後編

8人の体験記
患者・家族・医師「奇跡の物語」

 そんな様子を見かねた両親は、藤本さんに病気を告知することを決める。'95年、一緒に病院へ行き、佐々木医師からすべてを聞いた。

「本当のことを知ったときは、体に力が入らなかった。やっぱりそうかという思いと、隠し続けた親がどれほど大変だったのだろうという申し訳なさでいっぱいになりました。治療はすべて終了していましたが、現実になってしまうと重さは違いました」

抗がん剤治療の第一人者である佐々木医師

 術後に「消化剤」だと説明されていた飲み薬が、じつは経口タイプの軽い抗がん剤だったことも知った。重要だと思わず、薬は飲んだり飲まなかったり。たばこも再発するまでは1日1箱程度は吸っていたという。

「最近は本人に告知するのが当たり前だそうですが、言わないほうがいい人もいると思います。私の場合は、若かったのもありますが、すべて終わったあのタイミングで聞いてよかった。抗がん剤の副作用に参っているときに現実を突き付けられたら、精神的にもたなかったかもしれません」

 その後、藤本さんは規則正しい生活を送れる仕事に転職し、苦手だった野菜も意識して摂っている。

「告知を受けたあと、自分の病状が5年生存率9%だったと知り、愕然としたんです。もし佐々木先生に会えなかったら、子どもと一緒のこんな楽しい毎日もなかったでしょう。10年目に『もう検診もいいでしょう』と言われたんですが、無理を言って今も半年に1度、診て頂いているんです。年2回の先生の検診は、私にとって、無病息災の祈願のようなものかもしれません」

白内障の手術も同病院で受けたという増田さん

「手術が終わり、麻酔が覚めてきたときに、家族が耳元で『よかったね』とか『がんばったね』と声をかけてくれたんです。あれは嬉しかった。

『ああ、生きてたんだ』って。それだけは今でも覚えているんです」

 埼玉県に住む増田文代さんは、3度目の大腸がん手術後のことをそう振り返った。現在61歳。

 明るい声と艶やかな肌から受ける印象は、この10年で大きな手術を何度も乗り越えてきた人にはとても見えない。

「最初にがんと聞いたときは驚きました。主人が53歳のときくも膜下出血で亡くなっていたので、50歳で『私もか』と。真っ先に子どもたちのことを考えました」