犯人はなぜ与党を標的にしたのか
「ノルウエー連続テロ」の影に浮かぶ「ヨーロッパの人種主義」

佐藤 優 プロフィール

 しかし、重要なのは、今回のテロがアラブ系移民を直接対象とせず、官庁街や与党という政治エリートを標的にしたことのもつ重要な意味が見落とされてしまう。筆者は、このテロ事件の本質は、キリスト教原理主義や民族主義の要因よりも、ナチズムに近い人種主義と見ている。ここで重要なのは、ブレイビクの敵意が移民全般に対してではなく、イスラム系移民にだけ向けられていることだ。

 イスラム系移民の多くを占めるアラブ人をセム人種と見なすと、ブレイビクの思想がアンティセミティズム(反セム人種主義。アラブ人とともにユダヤ人もセム人種と見なされるので、反ユダヤ主義の意味でも用いられる)。

ノルウェーの抱える負の遺産

 さらに重要なのは、ノルウエーの底流に無視できない負の遺産が存在することだ。

 朝日の社説は、〈 この国は第2次世界大戦中、ナチスドイツによる侵略と支配を体験した。 〉と記すが、この見方は一面的に過ぎない。ノルウエーは、強力なナチス運動が展開された国家だからだ。

 ここに人種主義という補助線を引くと、ブレイビクのテロ行為の論理を読み解くことができる。そのためには、ノルウエーでナチズムを主導したヴィドクム・キスリング(1997~1945)に光をあてなくてはならない。

〈 キルリング党(引用者註*国民同盟)は、「ノルウエーのブロンドのヒトラー」=ヴィドクム=キスリング(クヴィスリング)Vidkum Quisling少佐を党首とする、著しく親独的なナチス党であって、一九三三年七月に創設された。キルリングの経歴は、士官学校を抜群の成績をもって卒業し、一九一一年、二十四歳の若さで参謀本部に入ったことからはじまる。そこではロシア研究班に入り、ペトログラードおよびヘルシンキ駐在武官となった。 〉(木下半治「22 一九三〇年代におけるファシズム『岩波講座 世界歴史28 現代5 一九三〇年代』岩波書店、1971年、53頁)

 当時、フィンランドはロシア領だった。そのためノルウエーにとってロシアの脅威はきわめて大きかった。従って、フィンランド軍のエリートがロシアを担当した。ヒトラーと異なり、キスリングは既存体制のエリートだったのである。キスリングは人種主義者で、国家を人間の身体のように見なすコーポラティズムの立場から、ノルウエー人同士の助け合いを重視し、社会福祉政策を主張した。

 一九三二~三三年にキスリングは国防相に任命された。〈 彼はこの予期しなかった地位を存分に利用して、多数の陸海軍将校を総花的に進級させたり新任したりして、意識的に勢力扶植を図ったため、キスリング党はノルウエー軍部に想像以上の潜在勢力をもつといわれた。/一九四〇年五月、ナチス---ドイツ軍の侵入に当り、キスリング党は、ドイツの第五列として首都オスロ---をはじめ重要都市の電撃占領を可能ならしめた。このことはキスリング党がノルウエー軍部に勢力をもち、その中堅層と緊密に連絡していたためであったといわれた。 〉(前掲書54頁)

 1940年2月にキスリングは首相に就任したが、この政権を傀儡政権と見なした人々はレジスタンス運動を展開した。1945年5月9日にキスリングは逮捕され、国家反逆罪で裁判にかけられ同年10月24日に銃殺された。戦後のノルウエーでは、キスリングを歴史から消し去られてしまた。ヒトラーはキリスト教を信じていなかった。父がルター派の牧師であるキスリングはキリスト教を信じていた。