「高く売るから意味がある」 富裕層向けビジネスの展望を京都吉兆三代目、徳岡邦夫さんに聞く [後編]
これからの老舗料亭のブランドとは前編 はこちらをご覧ください。
今回は、京都吉兆の社長であり、世界的な料理人としても大活躍をされている徳岡邦夫さんの第二回目です。
徳岡流の組織改革
内藤:リーマンショックや船場吉兆事件など、ここ数年、京都吉兆には逆風が吹きましたね。
徳岡:その前に、じつはバブル崩壊のときに、会社が倒産しかけました。ぼくは当時、まだ社長ではありませんでした。経営陣の一人としては様々な経営改革に取り組みましたが、なかなか進まない。客観的に見て、あと10年はかかるだろうという感覚でした。

それからようやく立ち直ろうかとしているときに、リーマンショックがあったうえに、船場吉兆の事件が起きた。もう吉兆のブランドが一気にゼロになりました。お客様の足が遠のき、ふたたび倒産寸前の危機に陥ったのです。
そこで吉兆だけの感覚で商売をしてはいけないと思い、外部の方に入っていただき、外からの意見も取り入れ、一緒に考えていきました。ただ、やはり、なかなか改革は進まない。
そんな中で、昨年の6月、私が社長に就任することになりました。
経営改革に時間をかけていては、傷はもっと深くなる。私は、徹底的に周囲や従業員と話し合いをして、様々な取り組みを考えては、すぐに行動に移しています。改革は軌道に乗り始めています。
内藤:そもそも船場吉兆と嵐山吉兆の関係を、教えて頂けますか。吉兆はグループが5つあるんですよね?

「吉兆」の創業者・湯木貞一氏の孫にあたる。 15歳のときに京都吉兆嵐山本店で修行を始める。 1995年から、京都嵐山吉兆の料理長として現場を指揮している。
近著:『 (英文版) 京都吉兆 - Kitcho: Japan's Ultimate Dining Experience』(講談社インターナショナル)
徳岡:もともと株式会社吉兆というのがあり、昭和14年に設立されました。会社の規模が大きくなったことと、料理には地域性が大事なこともあり、1991年に分社化しました。
創業者の湯木貞一には、子供が5人おりましたので、相続の意味も含めていたのです。東京、高麗橋(大阪)、船場(大阪)、神戸、京都と、それらを管理する会社の5つのグループ、11社です。
船場吉兆の問題のあとは、商標の管理セクションと、コンプライアンスセクションをつくりました。吉兆のブランドに傷をつけないようなルールを作るセクションです。
内藤:勝手にみんなが吉兆を名乗っても困りますものね。
徳岡:実は今度シンガポールに私がコンサルタントをするお店が出店します。先方からは「吉兆」で出店してくださいと言われたのですが、「徳岡」という名前ならと引き受けました。「Kunio Tokuoka」という店名です。