「原子力」の原点、キュリーとベクレルの呪われし運命をご存知か

すべてはここから始まった
週刊現代 プロフィール

放射能は「夢の新薬」だった

 このベクレルの発見に目をつけたのがマリー・キュリー、ご存知キュリー夫人である。当時新しい論文のテーマを探していた彼女は、夫に「面白そうじゃないか」と勧められたことと、「新分野だから他の文献を読まなくて済みそう」という理由で、ベクレルの研究を論文のテーマに選んだという。

 1897年から1902年の間、マリーは夫の物理学者ピエールと、パリの学校から与えられたボロボロの物置小屋で実験に明け暮れる。ウランを含むクズ鉱石を手作業で砕き、運び、さまざまな化学薬品を使って不純物を取り除く作業に二人で没頭した。

 放射性物質を含む大量の粉塵と有毒ガスにまみれての作業だったが、のちにマリーは当時を「研究に没頭できてとても幸福だった」と振り返っているという。

 放射能にまみれながら、キュリー夫人はポロニウムとラジウムという新たな放射性元素を発見する。放射能時代の幕開けである。美しき女性研究者の偉業を、当時のメディアはこぞって「世紀の大発見」と持て囃し、彼女の研究室には報道陣が殺到したという。そして1903年、キュリー夫妻とベクレルは、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞する。

「19世紀末から20世紀にかけては、物質の根源をたどる研究が隆盛でした。この時代に重要な発見が相次いだのですが、当時の物理学者や化学者は、自分の発見を応用することは考えていなかった。ギリシア哲学以来の伝統で、自然の成り立ちを知りたい、真理を掴みたいというのが研究の動機でした」(元朝日新聞科学部記者・友清裕昭氏)

 

 光り輝く放射性物質は、人類に幸せをもたらす魔法の物質、夢の新薬のように喧伝され、さまざまな商品がつくられることになる。

 その狂騒ぶりを記す『被曝の世紀』(キャサリン・コーフィールド著、友清氏訳)には、数々の実例が挙がっている。コロンビア大学の薬学部長は、ラジウムを肥料にすれば『味の良い穀物を大量につくれる』と主張したという。薬剤師はウラン薬やラジウム薬を薬局の棚に並べ、また医師たちもラジウム注射のような放射性物質を使った治療法を次々と開発、糖尿病、胃潰瘍、結核、がんなど、あらゆる病に活用しようとした。

 ほかにも、膨大なラジウム関連商品が欧米で販売されている。放射性歯磨き、放射性クリーム、放射性ヘアトニック、ラジウム・ウォーター、ラジウム入りチョコバーなどなど。「ラジウムはまったく毒性を持たない。天体が太陽光と調和するように、ラジウムは人体組織によく調和する」—これは当時の医学雑誌『ラジウム』(1916年)の一節だ。当然のことかもしれないが、放射性物質の危険性に対する意識は、まったくのゼロだったのである。

 放射能を恐れていなかったという点では、キュリー夫妻やベクレルも同じだった。立命館大学名誉教授の安斎育郎氏が説明する。

「ベクレルはマリーからもらった塩化ラジウム入りのガラス管をいつもポケットに入れて持ち歩き、人に見せびらかしていました。彼はノーベル賞受賞から5年後に、被曝が原因といわれる心疾患により55歳で亡くなっています。キュリー夫妻も、発見当初はそれが人体に害をなすなど、思ってもいなかった」

編集部からのお知らせ!