東京ヤクルト 宮本慎也
〝究極の脇役〟のキーワードは「余力を残す」

フライデー
座右の銘にしている、PL学園の監督だった中村氏の「球道即人道」という言葉。「野球選手の茶髪やヒゲは、あまり賛成できない」と語る

「僕の座右の銘は『球道即人道』ですが、これは中村監督の言葉なんです。監督はよくこう言っていました。

『普段の生活がいい加減だと、野球のプレーも雑になってしまう』と。当時のPL学園は全寮制で、集団生活は厳しく律せられました。1年生は毎朝、上級生より早く起きなければならないのですが、目覚まし時計を鳴らすのは禁止です。起床時間を示す針と短針が重なる、『カチッ』という小さな音で起きなければなりません。試合で誰かがエラーすると、連帯責任で全員が居残り練習させられたこともありました。

 今思えば理不尽なことだらけですが、世の中に出れば理屈の通らないことが当然あります。高校時代に厳しい生活を経験したからこそ、その後どんな苦難に遭っても耐えられるようになったんです」

 宮本はPL学園から同志社大学を経て、プリンスホテルへ入社。守備力を買われ、社会人2年目の '94 年の秋にドラフト2位指名を受けヤクルトに入団する。そこで出会ったのが、もう一人の恩師・野村克也監督(75・当時)だ。「打てずに守るだけの選手」として、入団当初は野村監督から「自衛隊」と皮肉られていたという。

「威圧感があって、本当に怖い方でした。入団直後の1月に明治神宮へ選手と首脳陣で優勝祈願に行った時、初めて野村監督から声をかけられたんです。『お前、その身体で野球できるんか』と。僕は身長176cmと野球選手としては小柄なんですが、緊張していて『はい』としか答えられませんでしたね。

 野村監督からは、いろいろなことを教わりました。なかでも僕の心に刻まれているのが、この言葉です。『野球選手には、それぞれ役割分担がある。脇役で目立たなくても、適材適所で仕事ができれば貴重な存在や』。プロに入れば、誰でもスター選手になりたいと思います。でも野村監督の言葉で、僕のような派手さのない選手は脇役に徹しないとダメなんだと、あらためて痛感させられました」

「自衛隊」の2000本安打

 だが宮本の守備は安定していても、打率は2割台半ばで低迷。野村監督は、試合中でも凡退すると「ちょっと来い!」と呼びつけ、直立不動の宮本の尻を叩きながら「なんであの場面であんな球を打ったんや」と失敗した理由を考えさせたという。宮本は「当時は監督の指示通りにプレーするのに毎試合必死で、悩んでいる余裕などなかった」と振り返る。