脱税した金を払わない不届き者を追う専門家集団である。張り込み、銀行調査など徹底した内偵調査で隠し財産をあぶりだし、差し押さえへ踏み込む。徴収官に睨まれたら最後、絶対に逃げられない。
「あんたたちに払う金はないよ。近所の人が見てるから早く帰って」
都内の閑静な住宅街の一角。トレーナーにジーンズ姿の30代の女が玄関先で、いずれもダークグレーのスーツを身にまとった男女の一行に不機嫌そうに言い放っていた。
しかし、一行に帰る気配はない。リーダー格の男が女の目の前に提示した身分証は、その男が「東京国税局徴収部」の徴収官であることを示していた。男はさらにもう一枚、スーツの内ポケットから取り出して女に見せた。
「徴収職員証票」―。
身分証の提示だけでは滞納者への質問・調査しかできないが、この証票は徴収職員に滞納者の自宅などの捜索・差し押さえを行う権限を与えるものだ。
「これから法人税の滞納に伴う捜索・差し押さえを行います。家の中を見させてもらいます」
毅然とした口調の徴収官に、女はなおも抵抗し、玄関先での押し問答は30分以上も続いた。
「警察官を呼んで捜索の立会人になってもらいます」
出勤で通り過ぎる近隣住民の視線を気にした女は、部下に警察を呼ぶよう指示した徴収官に「それだけは止めて」と言って自宅内での捜索を受け入れた。
女は夫とともに都内で雑貨店を営んでいたが、数年間にわたって売り上げの一部を除外して申告していた。「脱税」の確信犯だった。そして、東京国税局の税務調査で億単位の申告漏れを指摘され、1億円以上の追徴課税処分を受けていたのである。
その後、期限内に納税していれば徴収部の一行を招くことはなかった。しかし、女は「不況で大赤字になった」「銀行からの融資が出なくなった」などと言い逃れ、再三にわたる管轄の税務署からの督促にもかかわらず、納税していなかった。
それだけではない。
「突然の税務調査でショックを受け、流産した」
「税金の無駄遣いをする公務員に税金は払えない」
そんな言葉で、税務署に抗議さえしていたのだ。
処理困難事案とよばれるこうした滞納は、職員数の少ない税務署では手に負えない。そのため、国税局徴収部の専門部門に引き継がれる。
税務署の徴収官が担当する滞納額の目安は少額から3000万円で、国税局徴収部はそれ以上のものを扱う。さらに東京国税局徴収部では、1億円以上の滞納で、なおかつ滞納者が非協力的な姿勢を見せる場合、特別徴収担当約270人のうち、特に困難事案を扱う2チーム計二十数人の通称「特捜」と呼ばれる部門に回される。ここで差し押さえができなければ、もうお手上げ。まさに「最後の砦」と呼ばれるにふさわしい部門、それが「特捜」なのである。
特捜といえば、政界汚職や大型経済事件で脚光を浴びてきた東京地検特捜部の通称として有名だが、徴収官には実はそれ以上に強力な権限が付与されている。
< 徴収職員は、滞納処分のため必要があるときは、滞納者の物又は住居その他の場所につき捜索することができる >
国税徴収法142条に記載された条文が、その権力の源泉だ。自宅などを捜索する場合、警察はもとより、地検特捜部でさえ裁判官の許可が必要だが、徴収官には必要がない。それだけ「国家の米びつ」を支える税金を滞納した事案を担当する徴収官には、強い権限が与えられているのだ。ちなみに、脱税を検察庁に告発する国税局査察部査察官も国税犯則取締法で捜索・差し押さえには裁判官の許可が必要と決められている。
この女の自宅の捜索を任されたのは上田彰夫徴収官(仮名)だった。
北関東の高校を卒業後、税務署に勤めていた親戚の薦めで、国税職員となった。入庁当初は、映画『マルサの女』の主人公となった、悪徳経営者の脱税を暴く国税査察官にあこがれて査察部を希望していた。しかし、都内の税務署勤務時代に徴収担当になり、滞納者と膝をつき合わせながら、説得して納税の約束を取り付けていくこの仕事に興味を覚え没頭するようになった。
時には政界にさえもメスを入れて脱税を摘発する「査察部」、資本金1億円以上が対象で、名だたる大企業や外資系企業の税務調査を担当する「調査部」は希望者が多い花形部門だ。一方、地味な徴収部の地位は必ずしも高くはなかった。
だが、バブル経済の崩壊で滞納がピークを迎えた平成12年、職員の意識高揚を図るために悪質事案を専門とする「特捜」が誕生すると、正義感に燃える徴収部の若手がこの部署を希望するようになった。
そんな中で、上田は徴収の腕前ともの怖じしない度胸が評価され、東京国税局徴収部の「特捜」に引っ張られた。そして、経験を踏む中でチーフとして任されたのが、この女の自宅の捜索だったのである。
この日の目的は、女が隠していた財産の差し押さえだった。約3ヵ月にわたる内偵で、女が納税できる資金を隠しもっていることはわかっていた。
内偵ではまず、女が本当に税金を滞納するほど困窮していたのかを見極めるため、銀行調査を行った。銀行調査とは関係する口座間での資金移動状況や蓄財状況などを調べることだ。
会社や個人の口座には残高はあまり残っていなかった。しかし、会社の売り上げの一部が、複数の他人名義の銀行口座に毎月計約1000万円ほど移されていたことがわかった。
上田は部下とともに、銀行に足を運び、会議室を借りてATM内に残っている履歴を調べ尽くす作業にとりかかる。
「だれが、引き出しているのか。必ず突き止めてやる」
だが、その作業には膨大な労力が割かれることになった。同僚と二人で来る日も来る日も「ジャーナル」と呼ばれるトイレットペーパーのようなロール紙を凝視し、使用履歴の確認作業に追われた。そこには口座番号、引き下ろし金額、利用日時などを意味する数字が並んでいる。数字を日頃から見慣れた国税職員とはいえ、忍耐を要する作業だ。特に、上田が辟易としたのは一度ロールから伸ばした紙を再び元通りに巻き戻す作業だった。
「こんなしんどい作業、二度とやりたくないな」
作業が1ヵ月続いたころ、忍耐強い上田が同僚にぼやいたこともあった。
確認作業の結果、売り上げの一部は会社の従業員や女と夫の親戚名義など50ヵ所以上の口座に振り込まれていたことがわかった。さらに、各々の口座からは、銀行ATMで数十万円単位の金が定期的に引き出されていたことも発覚した。
それだけではない。ジャーナルの確認作業とともに同時並行で進めていた銀行内の防犯カメラ確認から、雑貨店を経営していた女が店舗内に頻繁に出入りしていたこともわかり、引き出し役はこの女だったことが突き止められたのである。