銀座の並木通りに本店を構える「サンモトヤマ」は1967年から軽井沢に支店を出し続けている。
そこには茂登山さんの強いある思いが込められていた。
[取材・文:塩見弘子 編集:新井公之]
旧軽井沢のメインロードからちょっと横道に入ると、ハッピー・ヴァレー(幸福の谷)に沿って苔にびっしり覆われた石畳があらわれてくる。その石畳をガタガタ上り詰めたところに深い緑に覆われた一軒の別荘が顔をのぞかせた。
「ほらほら遠慮しないで、自分の別荘だと思って気楽にやってください。どう? 気持ちいいでしょ。ここは地形の影響と寒暖の差があることも手伝って、夕方ともなると下から坂に沿って靄が上がってくる。これを、"風が立つ"というんだね。そう、堀辰雄はここで『風立ちぬ』の終章を書いたんだ。こんな素晴らしい自然のなかにいてごらん、もう何もしたくなくなりますよ」
傾斜地に張り出したデッキから、歯切れのよい江戸っ子弁がポンポン飛び出してくる。声の主は、今年89歳になる茂登山長市郎さんだ。
茂登山さんがこの別荘を持ったのは、1961年。当時はまだ関越自動車道もなく、碓氷峠を越えて汽車に長時間揺られてくるような場所だった。避暑客は政財界人や文化人、またバカンスの習慣のある欧米人などごく限られた人たちだけだった。
川端康成氏の別荘も目と鼻の先。生前は茂登山さんの別荘にも散歩がてら、ふらっと顔を見せてくれることもあったそうだ。
「『茂登山くん、ここは面白いおうちだね』 なんて言ってね。昨日のことのようによく覚えてますよ。昔はお互いの家の境に塀なんてつくらなかったから、自分の庭を誰かが通っているなんて普通だった。うちから万平ホテルまでも歩いてまっすぐ降りていけたんです。でもね、当初この軽井沢に来ようと思ったのは、のんびり優雅な時間を持つためではなかったんです」