『今だから言える日本政治の「タブー」』 著者:田原総一朗

「いや、党内調整がどうしてもつかないので、会期延長でひと息つこうと、私も梶山くんも考えていたのです。それで、前夜、梶山くんが小沢一郎に電話で会期延長のことを頼んだのですが・・・ようするに決裂してしまった。

 結果が出てしまったものを詳しく訊いてもしようがないので訊かなかったけれど、『お前、幹事長を辞めろ、執行部全員辞めたうえでないと話にならない』と猛烈に突っぱねられて・・・。これはもう妥協の道はないと彼は判断した。『私もいろんな舞台回しをしてきましたが、今度のやつだけは、どうにも私の手には余りました』。

 梶山くんは思い詰めた顔で、そう言いました。これはもう突っ込むしかないと、切羽詰まった気持ちだったのでしょう。だけど、私はあきらめなかった。道はまだあると思っていた」

 一三日夜の会談の時、梶山は小沢を封じ込めるために「政治改革断念」を宣言するしかないと思い詰めた。それに対して宮澤は、「道はまだある」と考えたのだ。実際、宮澤はあきらめていなかった。

 一七日に「宮澤首相は嘘を言った」として社会、公明、民社の野党三党が宮澤内閣の不信任案を衆議院に提出した。その不信任案の採決が行われる予定の一八日の朝、宮澤は羽田孜を官邸に招き、一時間以上も会談し、午後一時には当時の衆院議長・櫻内義雄の公邸に自ら足を運んでいる。

 突っ込むしかない、つまり断念を強行すると決めていた梶山をはじめ執行部には相談なしの行動で、執行部は少なからず驚き、不安を抱いたようだ。その行動についても、わたしは宮澤自身から聞いている。

「羽田くんが来て、どうだと。会期延長しかないのじゃないか。このままいけば選挙になってしまう。羽田くんには大蔵大臣をやってもらったりして、割に仲がいいんですよ。そこで、協力してくれと言うと、羽田くんは、わかりましたと、いいですよと。それで、私が文章に書いて、一つは羽田くんに持たせた。

 それからなんです。私は、櫻内議長のところに行って、議長に各党の党首を集めてもらい、会期延長に同意してもらおうと思った。これを知っているのは、亡くなった近藤元次くん(九四年二月死去)と河野洋平くん(当時の官房長官)です」

 しかし櫻内議長が各党党首に会談を呼びかけたものの、野党各党は議長斡旋を受け入れず、調停は不調に終わった。なぜ野党は議長の呼びかけに応えなかったのか。宮澤が言った。

「むろん、小沢が働きかけたからですね」

自身を追い込んだ『サンプロ』に出演した宮澤の気骨

 そして一九九三年六月一八日夜、宮澤内閣不信任案の採決が行われた。採決に先立って、当時の社会党副委員長の佐藤観樹、公明党副委員長の渡部一郎、民社党労働局長の川端達夫が趣旨説明を行い、いずれも宮澤首相の「嘘」発言を何度も厳しく糾弾した。

 佐藤、渡部の二人は、宮澤の「嘘」を引き出した当人として、わたしの名前を二度、三度あげた。その間にも、採決後に話を聞きたいという新聞や雑誌から取材依頼の電話がかかってきていた。

 午後八時一六分、社会、公明、民社の三野党が提出した宮澤内閣不信任案が可決された。当時の衆議院は、社会党一四一人、公明党四六人、民社党は一三人でしかない。自民党は二七四人と安定多数を堅持していて、たとえ共産党の一六人が賛成に投じても、宮澤を守ることは可能だった。

 しかし東京佐川急便問題で分裂した経世会を割って出た「改革フォーラム21」の三四人をはじめ自民党議員三八人が賛成票を投じ、一六人が意図的に欠席したため、不信任案は三五票もの大差で可決してしまった。

 この「改革フォーラム21」には小沢一郎をはじめ、羽田孜や渡部恒三などが名前を連ね、代表は羽田だったが、実質的に牛耳っていたのは小沢であった。

 不信任案が可決成立したことで、宮澤は衆議院を解散し、総選挙に突入した。解散が決まると六月二一日、武村正義ら一〇人が自民党を離党して「新党さきがけ」を結成する。さらに二五日、羽田や小沢ら三六人も離党し、「新生党」をつくった。

 この時点で自民党の衆議院における議席は二二二に減ってしまい、過半数を維持することはできなくなった。戦後一貫して政権の座を占めてきた歴史を守ろうとすれば次の選挙での大飛躍が自民党には必要だったが、自民党総裁である宮澤の「嘘つき解散」は、まったくの逆風でしかなかった。そして総選挙の選挙日は七月一八日に迫っていた。

 『サンプロ』も総選挙一色となる。七月一一日の放送では「衆院選9党代表者激論」をテーマに、全党の代表者に顔をそろえてもらった。選挙の一週間前に全政党の代表者が顔をそろえるなど、テレビ番組としては異例だった。しかも、その中には自民党総裁の宮澤喜一の姿もあった。

 わたしのインタビューがきっかけで、やりたくもない内閣解散・総選挙に追い込まれたような宮澤である。そんなわたしの番組に、一般的に考えれば出演を承諾するはずがない。だから、宮澤にはわたしが直接、「悪いのですが出演してくれませんか?」と出演依頼の電話を入れた。

「いや、もちろん出ますよ」

 それが宮澤の返事だった。他には、恨みがましいことの一つもない、あっさりとした、いつもと変わらぬ対応だった。その宮澤の姿勢は、それ以後もずっと変わらず彼から恨みがましいことやグチを、言われたことがなかった。