『今だから言える日本政治の「タブー」』 著者:田原総一朗

 そしてこの日から、『サンプロ』と同じくテレビ朝日が放送していた『ニュースステーション』で、キャスターの久米宏が宮澤首相の「やるんです」発言を毎晩リピートし続けた。これは新聞ではやらない手法である。それによって、「政治改革の実行を宮澤は国民に約束した」という認識が広まり、定着していく。

 しかし、事態は宮澤の思い通りには進んでいかない。自民党内の政治改革反対派が強硬姿勢を崩さず、さらに態度を硬化させていったからだ。この間の自民党内の事情を宮澤の側近に訊いたことがある。

 野党の政治改革はかけ声だけで終わる、と自民党内にはタカをくくる雰囲気があった。ところが野党は小選挙区比例代表連用制で足並みをそろえてしまい、自民党としては抜き差しならない状況となってしまった。野党から投げられたボールを受け、それを返さなくてはならなくなってしまったのだ。

 どうしたらいいのか党内はまとまらず、分裂して激しい火花を散らしていたのが、わたしのインタビュー直前のことだった。だからインタビューの当日、宮澤は疲れ果てた様子で首相官邸に帰って来たのだ。その側近は次のように続けた。

「球を投げ返して野党が受け止めてしまったら、選挙制度改革は成立してしまう。そこで球を返すふりをするか、あるいは野党に届かない球をどう投げるかで党内は大きく揉めていた。ただ、宮澤さんには野党に投げる肩はおろか、握る力もなかろうというのが大方の見方だった。ところが宮澤さんがテレビのインタビューで『改革をやる』と発言したために『これは大変だ。野党にボールが届いてしまう』と大騒ぎになった」

 わたしのインタビューがきっかけで、逆に反対派が勢いづいてしまったというのだ。インタビューの翌日、六月一日には選挙制度改革慎重派議員を集めた「真の政治改革を推進する会」の設立総会が国会近くのホテルで開かれ、平沼赳夫が「最近の党内の動向を見ると、ヨーロッパの寓話のように、集団ヒステリーに陥り、破滅に突き進むネズミの集団だ」と政治改革に流れる風潮に危機感をみなぎらせて訴えた。その後、「推進する会」の島村宜伸らが宮澤を訪ね、「政治改革で野党と安易な妥協」を行わないように強く申し入れた。

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 六月二日の午前には、佐藤孝行(当時・総務会長)が宮澤と意見交換を行い、「党内の七、八割が賛成で、残りの二割が異議を唱えた場合は、大勢のおもむくところに結論を持っていくよう全力を尽くす。賛否の優劣がつかないような状態の時は、衆院本会議で混乱が生じる恐れがある」と告げた。

 佐藤は改革反対派の最右翼の一人で、この発言は宮澤に対する強い牽制でしかなかった。現に、この日に自民党が発表した所属衆院議員対象のアンケートでは、妥協容認が一四七人、反対が一〇〇人という結果が出た。容認が上回っているものの「七、八割が賛成」という状態ではなく、佐藤が告げたところによれば「衆院本会議で混乱が生じる」ことになる。

 それは宮澤への「反乱」を意味し、そういう事態を招いた首相としての責任が問われることになる。宮澤は追い詰められていた。

 六月一三日の『サンプロ』には、政治改革推進派の羽田孜に出演してもらった。わたしが「政治改革やるべし」と考えていたこともあり、羽田に宮澤支援を国民に訴えてもらおうと期待したからだ。ただし、この時も一方の側だけに肩入れすることはしなかった。慎重派の山崎拓にも羽田と同席してもらっていた。

 「宮澤を守らなければならない」という羽田に対し、山崎は「それは無理だ」との姿勢を通した。この一三日の段階で、宮澤はかなりの窮地に立たされていたようだ。

 翌日の一四日になって、宮澤の「敗北」が明らかになる。都内のホテルで行われた経団連会員でつくる新自由主義経済研究会で、自民党が野党案との妥協案をつくることについて、梶山静六幹事長が「今週いっぱいしか国会がないことを見ると、(法案成立は)たいへん難しい。

 一〇〇メートル離れた針の穴を通すほど、収拾するのは困難になった」と、事実上の断念宣言をしたのだ。翌日の新聞各紙は、「政治改革首相、『今国会』を断念」と報じた。「やるんです」と断言した宮澤の言葉が「嘘」になってしまったのだ。

梶山幹事長の「政治改革断念」の舞台裏

 なぜ一九九三年六月一四日に梶山静六幹事長は「政治改革断念」を宣言したのか。そのあたりの事情を、わたしは後になって宮澤喜一自身から聞いている。

 梶山が断念宣言をする前日、一三日の夜、宮澤は東京・原宿の私邸に梶山を呼び、高級ウイスキー「バランタイン」の三〇年ものを振る舞い、三時間も二人だけで話したという。

「あの晩・・・。それは前の晩(一二日夜)、(梶山は)夜中まで小沢と激しくやり合った。その報告を梶山がするために来たんじゃなかったかな。確か」

 そう宮澤は話し始めた。政治改革に反対だった梶山は引導を渡しに宮澤の家に行った、とわたしは考えていた。それを宮澤にぶつけると、彼は静かに答えた。

「佐藤孝行は反対で、私の足を引っ張った。これは確かです。でも、梶山くんはそうじゃない。私と何度も話していて、その点では私と一致していた。つまり(政治改革は)お互いにイヤなの。お互い嫌いなんだけれども、どうも派閥というものがいかんのだ、と。それはどうもそうだと。

 そして派閥がカネ集めをしてはいかんとなると、国が出すしかない。国がカネを出すとすれば党に出すしかないから一人一区(小選挙区制)になるんだと。その論理にはかないませんね、というのが梶山くんと私の一致したところで、イヤな理屈だけれども勝てないなという気持ちだった」

 それなら、一三日の夜は、二人で政治改革を推進していくための相談だったのだろうか。それを訊ねると、宮澤は次のように答えた。