『今だから言える日本政治の「タブー」』 著者:田原総一朗

「政治改革のことを訊きますか」

 宮澤は下を向いて沈黙を続けた後、少年のような目をして、わたしに問うてきた。

「訊きますよ」

 わたしは、ここで躊躇してはならないと思い強く答えた。

 さらに一分間以上、宮澤は腕組みをしていた。

「じゃ、やりますか」

 そう言って立ち上がると、宮澤はインタビューのためのセッティングがしてある隣の部屋へと歩いていった。途中、待ちかまえていた報道各社の記者たちに、「まあ、まあ、みなさんおそろいで」と愛嬌をふりまいた。しかし、インタビュー席に着いた宮澤からは笑顔が消えていた。喉の皺が神経質そうに動くのが、わたしは気になった。

宮澤総理が明言した「改革」への波紋

 インタビューが始まった。まずは、PKOの問題からはいった。

 一九九〇年の湾岸戦争で日本は多国籍軍に多額の資金援助を行いながら、自衛隊を派遣しなかったために評価されず、批判さえ受けていた。こうした状況に自民党政権は、自衛隊を派遣するPKOが可能となる法案を国会に提出した。

 海部内閣で提出された法案を宮澤内閣が引き継ぎ、九二年六月八日に参議院本会議で修正案を可決していた。自衛隊を紛争地域に派遣する裏付けができあがったわけで、戦後、憲法九条の規程を守って自衛隊の海外派兵を否定してきた日本にとっては大きな転換点となる出来事だった。

 宮澤へのインタビューが予定通り二ヵ月前に実現していれば、インタビューの中心はPKO問題になっていたはずである。しかし金丸逮捕を受けて政治改革が国民の最大の関心事になっている中、わたしが政治改革をインタビューの大きなテーマにするのは当然のことだった。わたしは問うた。

「問題の政治改革、選挙制度の改革ですが、たぶん、この番組を観ている日本中の人が、宮澤さんの言葉と表情を、宮澤さんはほんとうにやる気なのかどうか、それこそ凝視していると思います。おやりになるのですか?」

 それに宮澤が答える。

「お訊きにならなくてもわかっていることでね。政治改革は、どうしてもこの国会でやらなければならないんです」

 それに、わたしは重ねて訊いた。「この国会でおやりになる?」。宮澤も、話をそらすことなく、はっきり答える。

「やるんです。というのは、これほどの国民の政治不信というのは、もちろん私は自分の政治生活で経験したことがないし、ちょうどこの総理官邸で犬養(毅)さんが撃たれて亡くなったんですね。あの時の政治不信というのをよく覚えています」

 このインタビューを行ったのは旧首相官邸で、三二年五月一五日、当時の首相・犬養毅が、武装した海軍の青年将校たちの凶弾に斃たおれた場所だった。いわゆる「五・一五事件」の舞台である。あの時の宮澤は、もしかすると自らの姿を犬養とダブらせていたのかもしれない。宮澤が続けた。

「とにかく政治が変わらなきゃ、政治を変えなきゃ、国民の政治不信というのは、どうしようもないところへ来ている。ですから、どうしても、この国会でやってしまわなければならない」

 それを聞いても、わたしは質問をやめなかった。

「絶対にやる?」

「ここで政治改革をしなければ、日本の民主主義というのは大変な危険に陥ります」

と、宮澤。それでも私は手をゆるめずに畳みかけた。

「くどいようだが、ほんとうにこの国会で、政治改革、できますか? 残りの日数もあまりないようだし?」

「私が、責任を持ってやるんですから」

 それが宮澤の答え。さらに、わたしは訊いた。

「もしできなければ、首相を辞める?」

「いや、だってやるんですから。私は嘘をついたことはない」

 宮澤は言い切った。テレビを通じて政治改革の断行を国民に約束することで、自民党内の意見を一つにしようとしている、とわたしは受け止めた。同時に、「宮澤さん、よく言った」とわたしは心の中で叫んでいた。宮澤のことだから曖昧にするだろう、とわたしは予想していたのだが、それが裏切られて、わたしは感激した。

 わたしだけではない。インタビュー後に、「宮澤さんはよく言った」とか「田原さん、よく言わせたね」という電話を何人もの政治家や評論家からもらった。しかし、宮澤が断言したように物事は動いていかなかった。

『ニュースステーション』が繰り返した「やるんです」

 この『総理と語る』のインタビュー内容については、一九九三年六月六日の『サンプロ』でも大きく時間を割いて論じている。塚原俊平、島村宜伸、津島雄二、岩屋毅といった自民党議員たちに登場してもらい政治改革について徹底議論した。そして、「やるんです」と断言する宮澤の姿も強調した。