『今だから言える日本政治の「タブー」』 著者:田原総一朗

 そして、同時に検察に疑惑を持たれて、議員を辞めたら逮捕されるということが政界の常識となった。

 そうした中で、わたしにとっても忘れられないインタビューが実現した。それが時の首相、宮澤喜一へのインタビューである。

 九三年五月三一日の午後五時前、わたしはテレビ朝日のスタッフたちとともに首相官邸にいた。各局持ち回りの特別番組『総理と語る』の順番がテレビ朝日にまわってきて、そのインタビュアーをわたしが務めることになっていたのだ。収録は五時半からの予定だったが、準備のために早めに官邸に入った。五月も終わりのころで日脚が伸びたせいか、官邸は昼間の景色を保っていた。

 このインタビュアーを引き受けるにあたり、わたしはテレビ朝日側に条件を出していた。それは、「従来の『総理と語る』のようにあたらずさわらずの話をするのではなく、政局にじかに斬り込めるのなら引き受ける」という条件だ。それまでの『総理と語る』は「人生観は?」とか「好きなものは?」といった質問ばかりで、政局に関する話題は避けるのを慣例にしてきていた。そんなインタビューではおもしろくないし意味がない、とわたしは思っていた。だから「政局に斬り込めるなら」という条件を出したのだ。

 これにはテレビ朝日側も、そして官邸側も困ったらしい。それまでの慣例を破るだけでなく、政局について首相自らが語るとなると、状況に大きな影響を与えかねないからだ。問題によっては政権そのものを揺るがすことにもなりかねない。実際、そうなってしまうのだが・・・。

 テレビ朝日と首相官邸の交渉は難航した。慣例を破ることに、官邸側がなかなか「ウン」と言わなかったのだ。それを決着させたのは当時の河野洋平官房長官のひと言だった。彼は「それはおもしろいのではないか」といってわたしの条件を受け入れる姿勢を見せたのだ。渋々ながら、官邸も承知するしかなかった。その官邸側の決定をわたしに伝えてきたテレビ朝日の担当者は、興奮でうわずった声で「画期的なことです」「前代未聞です」と何度も繰り返した。

「なんだ、やはり宮澤さんは顔がない人なんだ」

 ただし、インタビューのスケジュールは予定から二ヵ月以上も延びた。これも、皮肉といえば皮肉な巡り合わせだったといえる。

 一九九三年の三月六日の金丸逮捕は、日本中に大きな衝撃を与え、自民党の尻には火がついたような状況だった。この騒ぎに対処するため宮澤首相は、四月一日に記者会見を開き、政治改革を断行することを表明した。翌日には自民党両院議員総会まで開いて、国民に公約している。

 これに社会党は、政治改革で「小選挙区比例代表連用制」が採用されれば次の選挙で有利になると踏んで、公明党の市川雄一書記長と話し合って社会・公明党案をまとめた。これに自民党は「単純小選挙区制案」で対抗し、与野党の対立は深まるばかりだった。

 さらに、自民党内は一枚岩だったわけではなく、幹事長の梶山静六を中心とする自民党執行部は、選挙制度改革に強硬に反対していた。そのため衆議院の政治改革特別委員会の審議は揉めに揉め、宮澤の時間がとれずにインタビューも延びたのだ。

 ちなみに、政治改革が国民の関心を集めていた五月末、金丸問題をきっかけに梶山との対立関係が鮮明化した小沢一郎が『日本改造計画』(講談社)を出版し、大ベストセラーとなった。

 もしも「総理と語る」が二ヵ月前に実施されていたならば、議題はPKO派遣(国際連合平和維持活動=United Nations Peacekeeping Operations)であっただろう。与野党がそのことで揉めに揉めていたからである。そしてPKO派遣ならば、政界を揺るがす出来事にはならなかったはずである。だが、PKO問題はケリがついていたのだ。

 わたしたちは五時前に官邸に着いて準備していたのだが、宮澤の帰りが予定よりも遅れた。この日、野党が言い出した小選挙区比例代表連用制への対応について自民党本部で開かれた政治改革推進本部の拡大幹部会議で話し合われたが紛糾して会議は長引き、結局は結論が出ないままに終わった。

 そのため宮澤の帰りが遅れた。わたしたちが待っている間に官邸の外は夕景色になり、やがて夜景となっていた。

 やっと宮澤が戻って来たのは、予定を一時間半近く遅れたころだった。待っていたわたしを見つけると宮澤は、開口一番、次のように言った。

「今日は政治改革の話は無理ですよ。非常に難しい情勢です。私がいま言えばブチ壊しになってしまう」

 しかしその言葉を、わたしとしてはすんなりと訊くわけにはいかない。政治改革が最大の関心事になっている時に、そこに触れないのではインタビューする意味がない。わたしは食い下がった。

「ただいま現在のメーンテーマは政治改革です。わたしは、宮澤さんがイヤだとおっしゃっても訊きますよ。お答えにならなければ、国民が『なんだ、やはり宮澤さんは顔がない人なんだ』と思うでしょう」

 すると宮澤は、すとんとソファに座り込み、腕組みをしてじっと厳しい表情で考え込んでいた。その間、わずか二、三分だったに違いない。わたしには極めて長時間に感じられた。そして、宮澤は非常に迷っているようであった。