黒川光博[虎屋社長]×壬生基博[森アーツセンター副理事長]×犬丸徹郎[帝国ホテル東京副総支配人]
初公開"軽井沢会"をご存じですか

セオリー

犬丸 私は二十数年前、父親の犬丸一郎が、南ヶ丘にいた白洲次郎さんから、「うちの隣を買え」といわれて別荘を購入して以来、南ヶ丘です。それまでは、旧軽井沢の鹿島の森にある母方の祖父母が持っていた別荘に、生まれた年の夏から通ってました。僕は3月生まれですから、物心つく前には、もう軽井沢に来ていたことになります(笑)。

 旧軽井沢の離山下から南原に至る一帯は、明治時代、軽井沢の原野に植樹した雨宮敬次郎の土地だった。それを受け継いだ軽井沢出身の政治学者、市村今朝蔵が土地を分譲し、昭和8年(1933年)に学者村をつくったのだ。

 犬丸氏の父・犬丸一郎氏(元帝国ホテル社長)は、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長だった白洲次郎氏に可愛がられ、後に理事長職を引き継いだ。また、犬丸氏の母方の祖父は元・富士フイルム会長の小林節太郎氏、現・富士ゼロックス最高顧問の小林陽太郎氏は叔父にあたる。

--みなさんの軽井沢でのお付き合いは、いつ頃から、どんな風に始まったのですか。

犬丸 父親の代からですから、いつからとは思い出せないですね。

いぬまる てつろう1956年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1981年、スイスのエコール・ホテリエ・ローザンヌを卒業。味の素、ホテルニューグランドを経て帝国ホテル入社。2009年より東京副総支配人。 〔PHOTO〕鶴田孝介

黒川 犬丸さんとは、おじい様の頃からのお付き合いになるのかな。壬生さんとも、もう20年のお付き合いですが、お二人とも、軽井沢だけでなく東京でもしょっちゅうお目にかかっています。むしろ東京でのお付き合いのほうが多いでしょうね。

壬生 私は犬丸さんのお父様と付き合いが長くて、1950年代に両親がハワイでお世話になりました。当時、犬丸さんは帝国ホテルに籍を置きながらハワイにもよくいらしたんですね。私はまだ小学生でしたが、その頃、ハワイに行く日本人なんて、まだあまりいなかったんですよ。

黒川 子供の頃は毎年、夏休みになるとすぐ軽井沢へ行って、学校が始まるまでいましたね。父は東京と軽井沢を行ったり来たりでしたが、母親と子供はずっと滞在していて、夏の間は南原で開かれる夏季学校に通っていました。

 1年生から6年生まで30~40人が集まって、先生もおられて宿題をやります。勉強だけでなくみんなで飯盒炊さんしたり、テニス大会をしたりで、その頃の友達とは今も付き合い続けていますね。

--軽井沢会でのお付き合いは、テニス部での活動が中心なのでしょうか。

黒川 私は小学校の後半に、軽井沢会のテニスコートで始めたのが、テニスを本格的にやるきっかけでした。

犬丸 私もテニスは、小学校に入る前から軽井沢で覚えました。叔父の小林陽太郎たちがテニスに熱心だったから、鹿島の森の別荘には慶應の庭球部員が二段ベッドに10人以上泊まって、まさに合宿所状態でした。軽井沢会のテニスコートのベンチは、緑色のペンキで塗ってあったでしょう。あのペンキの香りが、今でも懐かしいですね。

壬生 僕もテニスは小学校の頃から。テニスの「軽トー」(軽井沢国際テニストーナメント)の時期は、うちにも20名ぐらいは泊まり込みました。泊まっている知らない人から、「君、誰なの?」と聞かれたりして、自分の家ではないみたいでしたね(笑)--。