ジャーナリスト 田原総一郎の「原点」父とコカ・コーラと僕の青春
体験したことのない刺激


これがアメリカだ――。はじめてコカ・コーラを飲んだとき、そう強く感じたのを鮮明に憶えています。

あれは確か高校生になったばかりだったから、終戦から5年目ということになります。

僕の父はとっても新しいもの好きで、珍しいものがあると真っ先に買う人でした。

その日も帰宅した父が不思議な色の液体が入った瓶を持っていた。それがはじめてのコカ・コーラです。家族揃ってコップに注いで少しずつ飲んだと思います。とても珍しいものでしたから、一気にラッパ飲みなんてとてもできなかったはずです。

正直にいえば、飲んだ瞬間から好きになったわけではありません。これまで親しんできた日本のお茶には渋味があるのですが、コカ・コーラはそれがまったくない。辛いというのとも違うけど、どこかきつい感じがしたのです。とくに炭酸のスカッとしている感じは、それまでに体験したことのない刺激でした。あのさわやかな感じに、アメリカを感じたのでしょう。

意外に思うかも知れませんが、当時の僕は野球部に所属する野球少年で、しかも同時に美術部にも籍を置いていました。そして一方では小説家を目指し、小説も書いている。なんとも節操がないというか、夢多き青年だったのです。

しかし、多くの青春の夢は現実の前にもろくも挫折するもので、僕の場合も例外ではありませんでした。野球からいえば、小・中学校ではレギュラーでしたが高校では補欠。美術は一年後に入ってきた新入部員の作品を見て「これが芸術であり、僕のものは芸術もどきだ」と思い知らされました。

残る作家への道については早稲田大学文学部に入れたものの、当時華々しくデビューした石原慎太郎の『太陽の季節』と大江健三郎の『飼育』を読んで、完全に打ちのめされました。あんな斬新で新鮮な文章は到底自分には書けない。少し前、同人誌の先輩が「努力とは文才がある人間ががんばることをいう。君らの場合は努力ではなく徒労だ」といわれたことがありましたが、その言葉の意味がわかった気がしました。つまり、僕の青春時代は、コカ・コーラのようにスカッとさわやかとはほど遠い、挫折の連続だったのです。

僕らの世代にとって、コカ・コーラとベースボールがアメリカであり、自由の象徴でした。
時代とともに走り続ける


でも、今は若いときに多くの挫折をしてよかったと心から思っています。ジャーナリストという天職に巡り会えたのも、作家になる夢を学生時代に諦めることができたからでしょう。

もっといえば、ジャーナリストを志望した理由もある意味で、挫折がベースにあるといってもいい。戦争が終わったとき、僕は小学校5年でしたが、あの日を境に世間の価値観は180度変わってしまいました。先生も新聞もそれまでと180度逆のことを躊躇なくいい始めた。

あの経験から僕は思いました。大人たちがもっともらしい口調で言うことは信用できないな、と。そしてその気持ちがやがてなにが本当なのか自分の目で見てみたいという気持ちに変わっていった。これがジャーナリストを目指した原点であり、今も一貫している思いなのです。

今年、僕は82才になりますが、今も日々大勢の人に会い、話を聞く生活が続いています。「よく疲れませんね」といわれることもありますが、疲れなど感じたことがありません。自慢ではありませんが、僕には趣味というものがない。唯一の楽しみが人に会うことで、それが仕事になっているのだから、こんな幸せなことはないでしょう。謙遜ではなく、僕には何も才能はないのですが、それでもこの年まで現役でいられるのは、好奇心の強さのお陰。そして、それはコカ・コーラを買ってきた新しいもの好きの父の影響なのでしょう。

コカ・コーラをはじめて飲んでから65年、この間に時代は大きく変わりました。バラク・オバマ大統領が誕生し、次は女性の大統領が現れるのも遠いことではないでしょう。そのとき、僕の目にどんな時代が映っているのか。それは誰にもわかりません。でも、動き続ける時代とともに走り続ける僕の好奇心は、変わることがないことだけは確かです。