警視庁捜査2課は、14日、振興銀元会長の木村剛を銀行法違反の「検査忌避」で逮捕した。捜査の目的は、金融庁への挑戦的な態度を崩さず、振興銀を「木村帝国」にしてしまった木村を、銀行から排除すること。

したがって木村は、起訴のうえ場合によっては、「余罪追及」の捜査が始まり、振興銀のみならず、経済の表舞台から去ることになるのは避けられない。
木村が、貸し渋りに悩む中小企業に、リスクに見合う金利をつけた融資で事業協力したいと振興銀をスタートさせたのは、2004年4月。志半ば、わずか6年で倒れた木村の軌跡を辿る。
振興銀の始まりは坂本龍馬だった。木村を銀行経営に引き込んだのは、明治維新の志士に熱い思いを抱き、特に坂本龍馬が好きだという落合伸治である。
2002年から3年にかけて金融庁顧問として金融制度改革に取り組んでいた木村は、経営が傾けば貸し剥がすメガバンクを始めとする既存の金融機関に絶望、講演会などで「20億円もあれば銀行は設立できる。リスキーな分野にも資金を投じる新銀行を立ち上げたらどうか」と、焚きつけていた。
それに反応したのが落合である。当時、35歳の若手だったが、20歳の時に起業、すでに15年の貸金業者としての実績があった。講演会を聞いて触発された落合は、さっそく面談の約束を取り付けると、日本橋の小料理屋で木村をくどいた。
「担保主義の銀行は、もう必要ありません。今こそ日本には、人物本位の銀行が求められている。担保ではなく人に貸す。(芙蓉グループ創業者の)安田善次郎のような銀行家に率いられた真っ当な銀行が必要です」
東大、日銀を経て外資系KPMGフィナンシャルの代表となった木村は、そのエリートの履歴に「維新の志士」に連帯する熱い思いをたぎらせている。その"熱さ"が、落合の「人物本位の銀行を!」という思いを受け止めた。新銀行設立に関与、03年10月の銀行予備免許の取得は、木村の"尽力"がモノをいった。
当時、木村は、落合や自分を含む設立に参加したメンバーを「草莽の志士」に例えて、こんな一文を残している。
「ともかく一歩を踏み出そう。ささやかな一歩が『維新』につながることを信じて動き始めようではないか」
だが、落合への"安易"な信頼が、アダとなる。15年の金融業の歴史は、落合の"裾"を汚した。
銀行が正式にスタートする直前、刑事事件化する株価操縦事件に落合が間接的に関与していたことが発覚、「社長を任せるわけにはいかない」という木村と落合の間で確執が生じ、落合サイドの「反社会的勢力」を利用した水面下の工作などもあって、紛争は泥沼化した。
04年11月、ようやく落合の放逐に成功するが、今度は、「ミドルリスクミドルリターンの市場開拓」という本来の目的を達成できないという現実にぶつかった。落合は去り、ビジネスモデルは確立できず、それでも金利を高く設定したおかげで、預金だけは集まるという歪な銀行となった。
誇り高い木村は、前面に出ざるを得なくなった。05年1月、社長に就任すると陣頭指揮をとる。しかし、ミドルリスクミドルリターンは絵に描いた餅で、「ハイリスクローリターンがあるばかり」という業績不振企業の現実の前で、金融業の経験のない木村は立ち止まらざるを得なかった。
その間にも、木村と落合が掲げた「金融維新」の旗に集まった創立メンバーは、次々に銀行を去った。
「木村さんは、敵か味方かで人を分ける。敵は相手にせず、味方なら『俺についてこい』というタイプ。付き合いきれないと、みんないなくなってしまった」(銀行元幹部)
光明が見えたのは、折からの消費者ローン、商工ローンへの逆風で、各社が振興銀を頼るようになってからだ。営業債権を買い取り、回収はローン各社に任せ、回収できなければ買い戻させるというビジネスモデル。
さらに振興銀は、金融、不動産、建設などで中小企業○○機構という名の"目利き"の会社を設立、そこが保証業務を行うことにして、リスク分散を図りつつ、商工ローンの顧客を取り込むという作業に入った。
つまり、不動産バブルの崩壊と過払い金返還請求の急増で経営危機に陥っているSFCGやNISグループといった商工ローン会社の営業債権を買い取って、彼らを"延命"させる一方で、その顧客を振興銀の顧客にしていった。振興銀と○○機構と融資先の3社が一体となって事業再生を図るビジネスモデルである。
だが、結果は、「机上の論理」だった。SFCG元幹部が嘆息する。
「10%台の金利で融資を受けて立ち直る企業はほとんどない。SFCGに来る客は断末魔に陥っているわけで、だから大島(健伸元会長)さんは、人物を信じた事業融資なんてしなかった。不動産担保融資か保証人を取ったうえでの融資。"客殺し"が基本だ。振興銀の場合、保証会社といっても一心同体で意味はない。そんな状態で『人を見て貸す』というんだからバカげている」
なにより、木村を大きく裏切ったのは大島だった。約1000億円の営業債権を二重譲渡。後順位が700億円もあるというのだから焦げ付く恐れが強い。検査忌避は、SFCGへの買い戻し条件付きの融資が、出資法違反の高利(年利45.7%)であるのを隠ぺいしたかったからだというが、大島にとっては二重譲渡をしているのだから、多少の高利は痛くもかゆくもなかった。
ミドルリスクミドルリターンは、「金融維新」を目指すエリートが、頭のなかで描いた理想である。業績不振企業を、中小企業振興ネットワークという「共同体」に囲い込み、仕事と資金の面倒を互いに見ながら成長しようというのも理想論だった。
ネットワーク企業の代表が率直にいう。
「単独で生きていける企業なんてない。みんなビジネスモデルが壊れ、木村さんに駆け込んで助けてもらっている『負け組』ばかり。振興銀の『ミルク補給』で生きているから、木村さんのイエスマンになって飛ばしや付け替えに応じていた」
高利で預金を集め、支店網を120以上に広げたこともあって、1日に預金が20億円、30億円と集まる日が続いた。業績悪化をカバーするのは、日銭が入ってくるので可能。その全ての作業を、木村が全能の神のごとくに差配していたのだという。
「いつか破綻するのは目に見えていた」
銀行関係者もネットワーク幹部も口を揃えるのだが、「金融維新」を起こして、新しい銀行の"在り方"を提示する、とぶち上げた木村としては、志半ばに放り出すわけにはいかない。なによりプライドが許さなかった。
だが、金融庁は放置すれば年内にも預金が1兆円に積み上がり、業績不振企業の渦のなかで預金が劣化していくのを座視することはできなかった。内部告発等を集めて地検特捜部に相談、検察は、着手済みのSFCG捜査に連動するということで警視庁捜査2課に委ね、参院選終了直後の木村逮捕となった。
5人の逮捕者のなかで、木村一人が容疑を否認している。「維新の志士」として既存の金融秩序に戦いを挑んだ木村としては、「志半ばで倒れた」という形にしなければ、死んでも死にきれないのである。
(文中一部敬称略)



