セオリー賢者の知恵

2010年07月01日(木) セオリー

松本大 マネックス証券社長
「逆風でもヨットは目的の方向に進むことができるんです」
「100年に一度の金融危機など、まったくの嘘」

松本大/まつもと おおき
1963年埼玉県生まれ。
東京大学法学部卒業。ソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックスといった外資系証券会社に勤務した後、1999年にマネックス証券を設立。
2000年には会社設立からわずか1年4ヵ月で東証マザーズに上場。2001年には米誌「フォーチュン」の「次代を担う世界の若手経営者25人」の一人に選ばれた。著書に『私の仕事術』、共著に『この国を作り変えよう』などがある
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 取材時間を大幅にオーバーしていたが、さらなる撮影を了解し、エントランスまで走る姿が印象的だ 〔PHOTO〕中村將一(以下同)

 

  取材予定の時間をすこし過ぎて部屋に入ってきた松本さんは、「遅れて申し訳ございません」と言って深々と頭を下げた。

 音も立てずにスッと席に着くと、自然にミネラルウォーターを口にふくむ。

 机上には『古今和歌集』。「ビジネス書はまったく読まないんです」と言い切る男が語る「新しいビジネスモデル」とは---。

「10億円捨てた男」が語る「よくある出来事」としてのリーマンショック

 「『100年に一度の経済危機』というのは、まったくの嘘ですよ。自慢するわけじゃないですが、僕はリーマンショックが起きた直後からそう言い続けている。今までもあったことだし、これからもあることです。最近は10年に一度くらいの頻度で起きている状況となんら変わりません」

 サブプライムローン問題、リーマンショックに端を発する一連の経済異常事態を世間では「100年に一度の危機」と呼ぶことが多い。この危機によって、ビジネスや経済環境はどのような変化があったのか? と質問した際、松本さんが最初に発した言葉だ。

 松本大。マネックス証券代表取締役CEO。東京大学法学部を卒業後、外資系証券ソロモン・ブラザーズに新卒で就職。3年後にはゴールドマン・サックスに移籍。史上最年少でゼネラルパートナー(共同経営者)に就任したが、その地位を捨ててマネックス証券を35歳で立ち上げた。

 退職した際のゴールドマン・サックスは株式を上場する直前で、そのまま残っていれば株の上場益で莫大な資産を手にできていたことから「10億円を捨てた男」として大きな話題を集めた人物でもある。

 現在も世界の金融関係者と太いパイプを有している松本さんからすれば、今回の経済危機はある種、「よくある出来事」に過ぎないようだ。

「経済が順調なときというのはリスクが減少するため、儲け幅が減るのが経済の原則です。わかりやすい話をすると、中国の労働力が世界に解放されて安価な商品が世界中に広まると、一つの商品を売っても儲かる額が少なくなりますよね。金融商品も一緒で、景気が安定し、金利が低いと儲け幅が相対的に小さくなる。

 ところが個人の欲望というのは、それに合わせて小さくなるわけではない。むしろ、そんな環境でも今までと同じだけ儲けようと思うもの。そこでウォール街の連中が考えたのが、レバレッジをかけて危険な勝負をするという方法。これで以前と変わらない絶対額を儲けているように見えるし、結果として莫大なボーナスも手に入る仕掛けです。

 しかし、それは架空の需要なので、いずれはどこかで破綻するときがくる。いわゆるバブルの崩壊です。今回もそうした一連の流れが起こっただけ。オランダのチューリップバブルにはじまり、'80年代日本で起きた不動産バブル、'90年代アメリカのITバブル・・・基本構造はどれも共通ですよ」

 たしかに「売り上げが減ったのでリストラをする」「ボーナスが減ったから買い控えをする」「投資先が潰れると困るから貸し剥がしをする」「景気刺激のためにばらまき財政出動をする」・・・その後に起こっていることは、どれもある意味見慣れた風景ばかりだ。

 では、この先についてまったく心配する必要はないのかと言えば、それほど世の中は甘くないようだ。

僕がいま、最も感じているのは、 日本語の限界ということです

「ただし、今回のバブル崩壊は従来のものとはいくつか違うことがある。

 それは、バブル崩壊と同時に中国が分水嶺を越えてキックインしてきた一方で、アメリカはブッシュ政権からオバマ政権に替わる過程で、ここ何十年の中でもかなりダメな時期を迎えている。

 つまり世界の覇権を握ってきた大国が弱体化するのと、次の覇権を取り得る大国の成長が同時期に起きた。これは今回の金融危機の原因ではないし結果でもないのですが、たまたま同じ時期にそれが起きたわけです。

 このため、金融危機の前と後では多くの人にとって気になる軸が変化した。ビジネスマンとしても世界のお金の流れやビジネスとして関心を持つべき場所が、アメリカよりも中国になんとなく移っている人も多いはず。それが、100年に一度という言葉に妙に説得力を持たせたのでしょう」

 だとすれば、これまでアメリカの経済発展をテコに拡大成長してきた日本としてはかなり深刻な事態と言える。少なくとも身をかがめて嵐が過ぎるのを待てば、それでいいというわけにはいかないだろう。

「僕がいま、この大きな変化の中で最も感じているのは、日本語の限界ということです。ちょっと大きな話をすると、産業革命以前、世界のGDPは人口分布と一緒でした。個人消費が経済の大部分だったからです。17世紀は中国とインドで世界のGDPの3分の2を占めていました。

 それが産業革命によって情報と技術が一部の欧米諸国に集中し、世界の富も中国やインドからこちらに一気に移動した。ところがインターネットが普及したことで、今度は情報も技術も世界中で格差が無くなった。結果として人口分布が再びGDPを決定する時代になると私は考えています。

松本さんの手帳は、驚くほど薄かった。必要最小限の予定しか書いていないという

 これを言うと怒られそうだけど、中国が世界の経済大国になるのは、なにも中国が特別なことをしているというわけじゃなくて、単に人口がよそよりも多いというだけのこと。

 ただ、それだけのことだからこそ、避けることはできないし、人口が元々少ないうえに減少傾向が続いている日本はビジネスの観点から考えると、かなりきついことになるわけです」

なにかきっかけさえあれば簡単に日本人の意識は変われると思う

 すでに「ブルームバーグ」をはじめ海外のメディアが日本語放送から撤退しているのもその現れと松本さんは言う。要は、英語のニュースコンテンツは世界で売れるが、日本語では日本でしか売れない。それでもある程度の市場規模があれば採算が合うが、今後はそれも期待できないということらしい。

 では今すぐ彼らが中国語のコンテンツを作るかと言えば、それも考えにくいという。英語人と中国語人を比べれば中国語の方が多いものの、可処分所得ウエイトで考えれば英語人の方がまだまだ大きいし、中国のビジネスマンは英語を話せる比率が高いからだ。

 結果的に言葉による経済圏を考えた場合、英語によるビジネスはこれからも大きいし、逆に日本語の地位は相対的に弱くなっていくというわけだ。 ただし、ビジネスにおける日本語の地位が低下するからといって、それに比例して日本経済が衰退するとは限らない、とも言う。

「非英語圏の先進国の中でも日本の大学卒業生の英語レベルはどん底だと思う。僕自身もそうでした。これを変えていかないといけないのはたしかです。ただそれは、不可能ではないし、けっこう簡単なことだと思う。なぜなら大正時代など、多くの日本人が海外に関心を持ち、多くの人が外国に移住していました。

 英語も出来ないのに、日本で仕事がないからシンガポールに行ってみようか、という人がゴロゴロいたらしい。ビジネスコミュニティにおける海外での活躍比率は現在よりもはるかに高かったわけです。

 つまり、現在のような極端な内向き思考というのは案外最近のことで、なにかきっかけさえあれば簡単に日本人の意識は変われると思うのです」

日本人であることや、日本的な考え方には自信がありました

 松本さんは大学2年まで本州から出たことがなかった。はじめての海外も大学3年の時のアメリカ旅行だった。そこで言葉の壁にぶつかったことが、新卒で外資系証券会社に就職した理由だという。だとすれば、当時からいずれ日本語だけではビジネスに限界が来ることを予測した行動だったのだろうか。

「だったら格好いいのですが、それはありませんね(笑)。正直に言えば、向こうであるイタリア人の可愛い女の子と出会った。彼女は優しいからわかりやすい英語で話してくれるのですが、そこにポールというフランス人が現れて『こいつは英語も喋れないから相手にしなくていい』と邪魔をする。

 それが悔しくて。英語が出来るともっといろんな人と話せて彼らの考え方が理解できるし、日本の考え方ややり方を伝えることができるんじゃないか、と思ったのです」

 そこで留学から帰った後、英会話の教材を購入した松本さん。かなり高価なものだったものの、苦痛なだけで思ったような効果が出ない。

「じゃあどうすれば英語が身につくか、と考えていた時ふと思ったのはアメリカでは子供だって移民だって英語を皆喋っている。環境さえあれば自然に喋れるようになるはずだ、ということ。それで外資系証券会社に就職したのです。短絡的と言えば短絡的、たまたまといえばたまたま、おっちょこちょいと言えばおっちょこちょい。

 結果的に戦略的といえば戦略的ですが、そうした理由から外資系に就職しただけなのです。ただ、ちょっと格好付けすぎに聞こえるかもしれませんが、日本人であることや、日本的な考え方ややり方には自信がありました。

 伝えられるものに価値があれば、言葉は稚拙でもなんとかなるはずだという、そこはかとない安心感があったんです。これもまあ不遜と言えばかなり不遜ですね(笑)」

 逆に言えば今、多くの人が自信をなくしているのは、日本的なものの考え方ややり方への自信がなくなっているからではないだろうか。最近、経営学者のピーター・ドラッカーの本が売れているのも、彼が日本型経営を礼賛し、利益至上主義を否定していることと関係があるのかもしれない。

 そのことを松本さんはどう思うかを尋ねたところ「僕はビジネス書を一切読まないので、詳しくはわかりませんが」と前置きしたうえで、こんなことを語ってくれた。「人の心はほぼ不変です。古代ギリシャ、ローマからシェークスピア、日本でも万葉集や徒然草の時代とまったく変わらない。

 それに対して、ビジネスはコンテンポラリーなもの。時代性が重要だと僕は思う。そういうなかで、日本の昔のやり方を褒めている人の話を読んで安心しようとしているのだとしたら、それは大変間違った方向だと思います。

 僕自身も日本人は大変優秀だと思っているし、戦後の焦土と化したところから世界第二の経済大国にのし上がったことは尊敬に値することなのだが、その時のやり方に固執するのは間違い。

 もっと本質的な特質に自信を持つべきなのではないでしょうか」

数十年前の成功体験を懐かしみ、再現しようとするから閉塞感を感じる

 日本人の本質的な能力の高さを示す具体例として松本さんが挙げるのが伊勢神宮の「式年遷宮」だ。伊勢神宮では、原則20年ごとに、内宮、外宮の二つの正宮の正殿と14の別宮の全ての社殿を造り替える。これが式年遷宮で、記録によれば飛鳥時代に第一回が行われた後、戦国時代などの例外を除き、1300年にわたり続けられているという。

「あれのなにがすごいかと言えば、日本では建物の造り方が人間の中にあるから、今も伊勢神宮を建てることが出来るということ。それに対し欧米は中世に建てた建物をいまだに使っている。それもある意味ですごいのですが、極端に言えば建物を持っているだけと言えなくもない。

 パリのノートルダム寺院を今造れるかと言えば、恐らく造れないと思うのです。建物に対する発想が日本と欧米ではまったく違うのでしょうが、根っこの部分に日本人は特殊な知識や能力があり、意識していなくてもだれもが持っていると私は思うのです。そこに誇りを持つべきなんですよ。

 だってさきほども言いましたがビジネスはコンテンポラリーなもので、時代と一緒に常に変化している。日本人にはその変化に対応するだけの潜在的な能力がある。だったら、数十年前に生み出したやり方に引きずられる必要はまったくない。

 たかが数十年前の成功体験を懐かしみ、再現しようとしているから閉塞感を感じる。それが、今の日本の最大の問題だと思いますよ」

 松本さんによれば、こうした風潮が蔓延する背景には、成功体験に固執する人が今も大勢残っていることに原因があるという。

「彼ら自身が残りたいと思う仕組みを作ったと言ってもいい。勲章を何段階にも分けているのもその一つですよ。一つで終われば、勲章もらったらこれで引退するか、と考えるのに、もっと現場にしがみつけば次の勲章がもらえるかもしれない、と思うからいつまでたっても退場しない。これはすぐにでも制度を見直すべきですね(笑)」

 日本を活性化させるには新たなビジネスが生まれることも不可欠だ。

 ライブドアが話題になった時はベンチャービジネスを立ち上げる若者も増えていたが、最近はすっかり熱が冷めている。むしろ最近では「寄らば大樹の陰」で、大企業や公務員を目指す若者が増えている。

「昔から出る杭は打つ、という風潮が日本にはあるのですが、特に金融危機以降は、ベンチャーなど『ぽっと出モデル』に対する風当たりが強くなっている。これは大変危険なことです。本当は今こそ企業も個人も新たなチャレンジに臨むべきだし、社会全体としては構造改革を進めるべきなのに現実はまったく逆。

 世界的な景気低迷が起こった時期と、小泉改革の負の部分が表面化する時期がたまたま重なったこともあり、一気に社会主義的な方向に舵を切ってしまった。実は、アメリカのオバマ政権も似たところがあるのですが、こうして日米が同時に社会主義的になったことも、中国にとってはチャンスが大きくなったと言えるでしょう」

 先が読めない時こそ、変化と飛躍のチャンス。頭では分かるのだが、先行き不透明な時ほどリスクを冒したくないと考えるのが一般人の宿命でもある。松本さん自身は、東大を卒業したとき、大企業や官僚という安定路線を選ばず、なぜ外資系金融機関という、最もリスクが高いと思える世界に飛び込めたのか。

「私が大学を卒業した当時の日本は、今では想像もできないほど繁栄していました。一人当たりGDPも日本が世界一で、ハーバード大学の著名なエズラ・ヴォーゲル教授は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本を著し、それが世界的なベストセラーとなったという時期です。日本の銀行の格付けもAAA/Aaa、すなわちAが6つ並ぶ状態でした。

 そんななかで僕がソロモン・ブラザーズという会社に入ると言うと『お前、スキーが好きだったっけ?』と言われました。スキーのサロモンと勘違いされたのです。

 そんな中でなぜ私が外資系金融機関を選んだのか。不思議に感じるかもしれませんが、英語のことはさておき、僕自身はリスクを回避するために選んだ道が外資系証券でした。なぜなら、銀行や官庁というのは、配属される部署やどんな上司に当たるかによって自分のキャリアや人生が大きく変わる傾向が圧倒的に強い。

 しかも、それは自分ではコントロールすることができないこと。そんな大きなリスクがある場所に入るのは避けたいと思ったのです。それに比べて外資はよくも悪くも実力主義。結果が出せなければそれまでですが、自分の責任なので諦めもつくじゃないですか」

目指す方向は決まっているが、到達点も進む方法も決めない

 マネックス証券は2010年5月、オリックス証券と合併した。2001年のセゾン証券子会社化、2004年の日興ビーンズ証券との経営統合に続き3度目の合併ということになる。これも新たなリスクを取ったチャレンジということなのだろうか。

「日本における証券投資ビジネスは順風満帆とはけっして言えません。ただ、順風でも逆風でもヨットは目的の方向に進むことは出来るように、日本だけを見れば証券投資に関連するビジネスは必ずしも順風ではないと思っていますが、やり方次第でビジネスは拡大することはできると思うのです。

 一つは風が自分の進みたい方向に吹いていないなら、自分で風を起こせばいい。オリックス証券との合併の目的の一つもそこにあります。オリックスとマネックスが一つになることで、業界一位を目指せる位置に立つことができる。

 一位の背中が間近になれば、社員のやる気も出ると考えているし、経営的に言えば、オリックス証券との合併に伴うコストカットのメリットによって利益状態が改善した。しかもボトムラインがよくなったことで生まれた資金を使って、中国などこれから証券市場が拡大し、順風が吹いている場所にビジネスを展開することもできる。

 つまり、風が吹いている場所に自らを置くことで目的に進む。二つの意味からも今回の合併はマネックス証券にとって大きなチャレンジだと考えています」

 MONEXはMONEYの最後のYをXに変えることで命名された。同社のホームページにも「"Money"のyを一歩進めて"Monex"。私たちは、お客さまに本当に必要だと思っていただける全く新しい金融サービスを、インターネットという巨大な可能性を秘めたインフラと、現代の金融技術、ノウ・ハウを組み合わせて提供してまいります」と書かれている。

「この気持ちは会社設立時から一貫しているし、今後も変わることはない。ただ、ビジネスはコンテンポラリーなものだから、その時々で目標を実現するための方法は変化する。例えば、マネックスを立ち上げたときにM&Aを繰り返して時価総額を大きくしようと考えたわけでは決してないし、11年前にマネックスを作った時、中国でビジネスをしたいとはまったく考えていなかった。

 『個人のための未来の金融を作る』という原理原則、プリンシプルな部分さえ守れば、むしろこうした枝葉の部分は時代に合わせて変化するべきなのではないでしょうか。

 別の言い方をすれば、目指す方向は決まっているが、到達点は決めないし、そこに向けて進む方法も決めないと言ってもいい。その方が時代の変化に柔軟に対処していけるからです。例えば東京から仙台まで行くとする。

 事前にすべてのルートを決めても意味がない。実際に走り出せば、途中事故で道が通行止めになるかもしれないし、高速は疲れて走りたくなくなるかもしれない。それなのに予めこの道を走る、ということまで決めていると、その道を走ることが目的になってしまう危険性がある。

 しかも、なにかの事情で道から外れると挫折感を持つ恐れもあるわけで、なにもいいことはありません。つまり、行き先は決めるべきだが、方法は臨機応変に変える。その方が精神的にも楽だし、結果的に目的の場所に到達する可能性も高まると思いますね」

変わらないものと最先端で変化している部分を両方常に意識している

 原則は堅持するが、変化は恐れない。そんな松本さんの姿勢は、愛読書にもよく現れている。ビジネス書は一切読まないという松本さんが、選んでくれた愛読書はソニー元会長の井深大氏の『わが友 本田宗一郎』と、日本初の勅撰和歌集である『古今和歌集』だ。

「人の心はほぼ不変です」と話す松本さんの愛読書。右から井深大『わが友 本田宗一郎』、モンテーニュ『エセー』、『古今和歌集

「『わが友 本田宗一郎』は井深さんと本田宗一郎さんの対談や本田さんの言葉で、ここが素晴らしいというものを描いている、いわば井深さんによる本田さんのアンソロジー的な作品です。

 本田さんは変化することの権化のような方ですし、井深さん自身も日本を代表するアントレプレナー。

 そんな二人のことを同時に感じることができるところがこの本の最大の魅力です。一方の『古今和歌集』は、もともと省略した文芸が好きということもあるのですが、特に和歌がいいのは季節があることです。和歌とは季節の中で人の心を読むものですが、僕自身も季節の中で生きている。

 じめじめした季節になれば精神的にも鬱屈するし、真夏になれば開放的になるわけですが、それを感じることはビジネスでも重要だと思うのです。

 ところが、都会のビルの中で毎日過ごしていると、そうした季節の変化を感じにくくなる。それを気付かせてくれるのが和歌なのです」

取材した部屋の壁一面には鮮やかなアートが。「ART IN THE OFFICE」と称した社会文化活動の一環で、現代美術の新進アーティストを公募し、会議室を応募作品の発表の場としている

 松本さんは寿司が好きなのも、出されるネタで季節がわかるからだという。

「僕はこうした変わらないものと、最先端で変化している部分の両方を常に意識しているかもしれません。ハイブリッド的と言ってもいいですが、古典だけだとガチガチで変化が起きないけど、変化ばかり追い求めているとファウンデーションが無くなって自分がどこにいるのかわからなくなる危険性もあるわけです。

 経営にコンテンポラリーな感覚は不可欠だけど、ただ最先端を追いかけることとも違う。大切なのは、普通に今という時代のなかに立ち、そこに合わせていくこと。単に追いかけるだけでは新しいものは生まれないし、アントレプレナーにはなれません。

 ただ、僕自身も常にそれを目指しているつもりなのですが、周りにはなかなかそれが伝わっていない部分もある。特に社員は新しいものだけを求める僕しか見えていない気がして。それを克服するのが僕にとってこれからの一つの課題かも知れませんね」

〔取材・文:平原 悟 編集:戸井武史〕