小宮 良之スポーツ

2010年01月01日(金) 小宮 良之

「流浪のストライカーの勲章」元日本代表・福田健二
4ヵ国7チームを渡り歩いた男が、来季6年ぶりにJリーグに復帰する

並んだユニフォームは在籍したチームのもの。来季は「エリエール」と書かれたみかん色のシャツをまとう
〔PHOTO〕眞野 公一(以下同)

「メキシコでファンに、『ゴールできない助っ人は失格だ。家に火をつけてやる』と脅された時は怖くなりました。移籍以来ノーゴールだったとはいえ、まだ開幕から3試合目ですよ! ホームゲームでも罵声が容赦ない。ボールを触るたびに『出ていけ』の大合唱が起こった時は、さすがにヘコみましたね」

 彼は笑って振り返った。だが4節から4試合連続得点を決め、"罵声"を"歓声"に変えたのはいい思い出だ。

「僕がゴールを決めると、見知らぬおじさんやおばさんまで親しげに声を掛けてきて、"あなたのおかげでとても幸せよ"と心の底から喜んでくれる。最高の気分ですよ。一人の日本人サッカー選手として胸を張れる生き方をしているなと」

 福田健二は現在、32歳になるサッカー選手である。'96年、Jリーグの名古屋グランパスエイトで高校3年にしてプロデビューを果たし、いきなりゴールを決めた。空中戦に強い天性のゴールゲッターとして、名古屋の後はFC東京、ベガルタ仙台で活躍。年代別代表を経て、'02年日韓W杯ではトルシエ監督率いる日本代表候補にも選ばれるなど、順調なキャリアを送っていた。

 しかし’04年1月、彼は給料を10分の1に下げて海を渡る決心をする。

「当時のJリーグは恵まれ過ぎ。"こんな大金をもらっていいのか"という疑問が常に頭にあった」と彼は告白する。

「中学の頃、ブラジルから来た交換留学生が『プロになって両親に家を買いたい』と話していて、当時の僕はすごく共感したんです。でも、Jリーグでは所属クラブでレギュラーになるとマンネリになりがち。サッカーは世界のスポーツだし、海の向こうのいろんな選手たちと戦ってみたかった。逆境を乗り越えてでも挑戦する人生にしたかったんです」

 福田は、パラグアイを皮切りに、メキシコ、スペイン、ギリシャと4ヵ国を渡り歩き、グアラニ、パチューカ、ヌマンシア、イオニコスなど計7チームで’09年夏までプレーした。4ヵ国はいずれも’10 年南アW杯に出場するサッカー強豪国。欧州王者スペインの「リーガ・エスパニョーラ」はメッシ、C・ロナウドらスターが居並ぶ世界最高峰のリーグであり、同じ舞台で戦った敵や朋友も少なくない。

「たとえ言葉が通じなくても、ボール一つで人の心を動かせる、その感覚がたまらない」

  福田が国外でプレーする魅力を語る。

「海外では負けたら何も残らない。シビアな世界ですよ。でも、自分がゴールして勝てば未来が見える。周りの選手もそのつもりで、ハングリーな環境から成り上がろうとしている。綺麗に勝てる世界じゃないから、ボロカスに言われても最後に勝てばいいんです」

 海外での冒険譚には事欠かない。

愛媛・松山のクラブハウス内で取材。子煩悩な2児のパパは、泥臭く闘争心溢れるプレーが持ち味である

 パラグアイでは南米王者を決めるリベルタドーレス杯でゴールを決め、「帰化して代表に入れ」と当時の代表監督に誘われた。メキシコでは標高2500mの高地スタジアムを本拠地とし、肺は一般日本人の約2倍に肥大化した。スペインでは、不調でチームの期待を裏切った韓国代表イ・チョンスの後釜として活躍し、シーズンMVPを獲得。「同じアジア人でも日本人はいい。戦うサムライだ」と地元マスコミに絶賛された。ギリシャではゴール裏からペットボトル、爆竹、はては引きはがされた椅子まで投げつけられ、「プロレスみたいだな」と半ば呆れた。

「精神的にタフになりますよ」と彼は言う。

「自分はFWだからゴールをして契約を勝ち取るしかなかった。日本のFWは、MFやDFに『もっとサイドに開け』『前からプレスを掛けろ』とたくさんの仕事を要求されるけれど、向こうはFWが『オレがゴールしてやるからここによこせ』と主導権を握っている。FWはゴールがすべて。ゴールして初めて仲間から信頼してもらえるし、その繰り返しで自分が成長していると実感できました」

 叩き込んだ数々のゴールが男の勲章だ。

 しかし、福田は今年10月、日本へ戻る決意を固めた。5年半に及ぶ海外でのプレーを一度・断念・することにしたのだ。'09-'10シーズンもギリシャのクラブで迎えるはずだったが、経営問題で給料が4ヵ月未払い、選手総入れ替えの非常事態に陥ったのだと言う。

「そんなトラブルも含めていい経験でした。それでも自分はフランスやUAEへ練習に足を伸ばしたり、海外でのプレーを続けるつもりだった。けれど、チームが決まらずに世界を転々としていては、娘たちが学校にも行けない。それは父親として情けなかった。海外挑戦する前から支えてくれた妻もそうですが、二人の娘は元気をくれる存在。絶対に守らなくちゃいけない」

 数ある選択肢の中から、彼はJ2の愛媛FCへの入団を決意する。最初のオファーは今年の春先。その後、ギリシャのクラブとこじれてから、再び手をさしのべられた。Jリーグ規約で来季までリーグ戦出場は不可だが、その熱意に、彼は胸を打たれた。何より愛媛は、彼が10歳まで過ごした愛着のある土地だ。

「故郷に恩返しをしたいし、愛媛FCとともに成長したいです。6年ぶりの日本でのプレーなんで、外国人選手気分で新鮮ですよ。日本人は技術はあるし、動きも速い。ただ、"怖さ"が足りない。海外の選手は勝負どころが分かるんです。例えば『ここで点を取るぞ』という・メッセージの込もったパス・がある。そのパスで選手全員にスイッチが入り、攻撃に・怖さ・が生まれる。そういったことが僕を通じてチームに伝われば・・・」

 来年は世界中の人々が熱くなるW杯イヤーだ。海の向こうの感覚を肌で知る福田が、3月開幕のリーグ戦で得点を量産すれば代表入りもあり得る。彼は、オシムジャパン時代の'07 年夏、招集は秒読みと言われながら好機をケガで棒に振っている。

この両足で世界を渡り歩いてきた。彼の生き方に憧れて海を渡る若手選手も多い

「代表云々より、今は愛媛のことだけを考えてプレーします。ただ、海外で一緒に戦った選手が代表に入り、強豪チームで活躍する姿は刺激になりますね。サッカー選手はサッカーをしていれば自ずと道は開けてくる。その道がW杯であれ、海外への再挑戦であれ、今は自分を信じてやるだけです」

 流浪のストライカーは日焼けした顔をくしゃくしゃにして笑った。