小林 雅一ITトレンド・セレクト

2012年04月27日(金) 小林 雅一

日本企業復活の鍵を握るHTML5:アップル、グーグル、フェイスブックなど米IT列強と戦うための武器として

 1990年に、ほぼ単独でワールド・ワイド・ウエブ(以下、ウエブ)を発明した英国人ティム・バーナーズ・リー氏は、1999年、自著「Weaving the Web(ウエブを紡ぐ)」のセールス・プロモーションのため、米サンフランシスコ市内のとある書店で講演・サイン会を催した。

 当時の彼はインターネット業界内でこそ著名人だったが、ごく一般の読者にまで知られた存在とは言えなかった。このため、その本のカバーには、わざわざ「発明者自身が語るウエブの起源と運命」という断り書きが印刷されていた。

 会場に集まった聴衆を前に、ひとしきり話し終えたバーナーズ・リー氏は、講演の締めくくりに次のような言葉を口にした。

「私の発明したウエブが(1993年頃から)商用化されるに伴い、黎明期のウエブ開発に携わった多くの人達がビリオネア(億万長者)になりました。ですが、その中でただ一人、金持ちになれなかった人がいます」

 彼はそこで少し間を置いた。ざわついた会場が一瞬静まり返る中、やがて自嘲気味に言葉を継いだ。

「それは私です」

 その場に居合わせた筆者の知人によれば、バーナーズ・リー氏は半ば冗談めかした口調ながら、やはり一抹の悔しさを隠し切れなかったという。それも無理はない。ウエブは本来、純粋に学術的なデータベース・システムとして考案された。それは元々、欧州原子核研究機構(CERN)の物理学者たちが、自分らの研究成果を皆でシェアするためのシステムを欲しがり、これに応えて(当時、CERNでシステム・コンサルタントとして働いていた)バーナーズ・リー氏が開発したものだった。

 やがてウエブは大学や研究所などを中心に世界に広がっていったが、90年代初頭に「ネットスケープ・ナビゲーター」と呼ばれるビジュアル指向のブラウザが登場したのを境に商用化が加速。ここから、いわゆるドット・コム・ブーム(バブル)が巻き起こり、ベンチャー企業のIPO(株式公開)に成功したインターネット長者が続出した。

 その中にあって、バーナーズ・リー氏はワールド・ワイド・ウエブ・コンソーシアム(W3C)と呼ばれるウエブ技術の国際標準化団体を創設し、ウエブのさらなる普及と技術開発に心を砕いたが、前述のネット・バブルからは距離を置いた。いや、彼が意図的に距離を置いたのか、それともブームに乗り遅れたのかは誰にもわからない。

筆者がMobile World Congress 2012会場で撮影:英Aurasma社が開発したHTML5対応のAR(拡張現実)ブラウザを使うと、リアルの広告バナー上に動画やTwitterを表示できる。HTML5の高度な潜在能力を示す一例

 いずれにせよ巨額の札束が飛び交ったネットIPOにおいて、その端緒となるウエブを開発したバーナーズ・リー氏は超然とした存在であった。が、そんな彼も人の子。心の底では、「(お金儲けの点では)しくじったかな」という気持ちを抱いていたことを、冒頭のエピソードは示している。

最後に笑うのは誰なのか?

 前述の通り、ウエブはインターネットという世界的通信インフラの上に構築された一種のデータベース(より正確には「ハイパー・テキスト」と呼ばれる)である。

 このウエブによって富と名声を手に入れた人達は、古くはネットスケープの共同創設者であるマーク・アンドリーセン氏やアマゾン創設者・CEO(最高経営責任者)のジェフ・ベーゾス氏、その後はグーグルの共同創設者であるラリー・ペイジ(現CEO)とセルゲイ・ブリンの両氏、最近ではフェイスブックの創設者・CEOであるマーク・ザッカーバーグ氏など、ちょっと思い起こすだけでも次々と名前が出て来る。

 彼らの他に数千万ドル、数百万ドルの富を蓄えた人達も加えれば、ウエブが産んだ億万長者は数えきれない。

 経済的には彼らネット長者の影に隠れた感のあるバーナーズ・リー氏だが、今後数年から10年程度の長期的スパンで考えると、最後に笑うのは、実は彼ではないか。そう筆者は見ている。

 なぜか? その理由は、バーナーズ・リー氏の率いるW3Cが現在、開発中の「HTML5」と呼ばれる新しいウエブ技術にある。このHTML5は、アップルやグーグル、アマゾン、マイクロソフトなど、これまで世界のIT/コンテンツ産業を牛耳ってきた巨大企業のビジネスをひっくり返す力を秘めている。

 こう書くと、「なんと大げさな」と顔をしかめる読者がいるかもしれない。なぜなら、非常に狭い意味でのHTML5とは、ホームページを製作するための標準言語、つまり一種の「技術規格」に過ぎないからだ。

 従って、HTML5について多少なりともご存じの方なら、「単なる一規格ごときが、あの強大なアップルやグーグルに対抗する力を持つはずがない」と考えてしまう。しかし、昨今IT業界のバズワード(流行語)となっている、いわゆる「HTML5」とは、実はこの標準言語(規格)を軸に構成される、最新鋭の高度なウエブ技術全体を指している(ページトップの写真)。

ブラウザが次世代OSになる

 ここから先は、技術的詳細を思い切り省かせていただく。このHTML5によって何が大きく変わるかというと、それは「ウエブ・ブラウザがアプリケーション(アプリ)のプラットフォームになる」ということだ。これまでなら、たとえばワープロや表計算、あるいは各種ゲームなど、いわゆるアプリは、基本的にOS(基本ソフト)の上で動いてきた。

 しかしHTML5が引き起こす技術革新によって、今後はこれらアプリがブラウザ上で動くようになる。つまりHTML5とは、「OSからブラウザへの覇権委譲」あるいは「ブラウザが次世代OS(プラットフォーム)になること」を意味している。

 この結果、マイクロソフトの「ウィンドウズ」、アップルの「iOS」、あるいはグーグルの「アンドロイド」など、巨大IT企業の力の源泉である「固有プラットフォーム」が力を失ってしまう。これに代わって新しいプラットフォームになるのがウエブ・ブラウザであり、その基本仕様であるHTML5の策定を現在進めているのが、前述のW3Cなのである。これが「最後に笑うのは、バーナーズ・リー氏である」と筆者が考える理由である。

 HTML5は今、水面下で急速に勢力を拡大しているが、皮肉なことに、このうねりを引き起こしたのは当のアップルやグーグル、マイクロソフトなど、米IT列強である。まずアップルが、ライバルであるアドビ・システムズのフラッシュ製品をモバイル業界から排除する目的でHTML5を利用した。

 またグーグルはマイクロソフトやアップルを、そしてマイクロソフトはアップルやグーグルを攻撃するための武器としてHTML5を利用した。要するに彼ら米IT列強が互いの足を引っ張り合う中、そこに漁夫の利を占めるような形で普及し始めたのがHTML5なのである。

 HTML5はまた、ここ数年、絶好調な米IT列強の陰で衰退の危機に瀕している、日本の家電メーカーに復活のチャンスを与える。さらには今、世界進出を目指しているグリーやDeNAなど進境著しい日本のインターネット企業が、アップルやグーグル、フェイスブックやジンガなどと互角に渡り合うための武器ともなる。

 が、それは使い方を誤ると、自らを傷つけてしまう諸刃の剣でもある。日本企業は伝統的にHTML5のようなウエブ標準への取り組みを苦手としてきたが、今後の復活や世界進出に向けて、それは最重要課題として浮上してきたと言える。