牧野 洋牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」

2012年03月01日(木) 牧野 洋

ツイートの無断転載は手抜き取材と変わらない、欠かせない本人への直接取材

1月26日付日本経済新聞朝刊の13面「twitter pickup」より
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 1月26日付日本経済新聞朝刊の13面。東京大学の秋入学への移行について、東北大学の沼崎一郎教授ら識者のツイートが紹介された。ツイート転載を知ると、沼崎教授は驚き、同月30日にこうツイートした。

 〈 注に『米ツイッター社の許諾を得て転載しています』とあるが、私には無断転載だ 〉

 後日、沼崎教授は日経から「無断転載」の経緯について回答を得ている。

 〈 転載に際しては、ご本人の許諾を前提としておりますが、今回は当方の手違いにより、沼崎先生にご連絡しないまま掲載に至ってしまいました。今後、転載させていただく場合には、必ず事前に連絡をさせていただきますので、今回の件についてはご容赦いただくよう、お願い申しあげます 〉

 ツイートは不特定多数の人たちに届くことを前提に発するつぶやきであるから、報道機関がツイートを使うのも自由なのではないか。沼崎教授に聞いてみた。

「本人確認もせずに掲載するとは、報道機関として義務を果たしていない。ネット上ではなりすましも多い。ツイートが改ざんされている可能性もある。ツイートを使うのは違法ではないけれども、本人の発言かどうかウラを取り、発言内容が正確かどうかチェックするのは取材のイロハではないのか」

 正論である。ツイートが公の情報であるからといって報道機関が無制限に使っていいわけではない。当たり前だが、事実であると確認できた場合に限って報道すべきだ。事実確認していないツイートで紙面を埋めてしまったら、読者の信頼を失うだろう。

 ツイッターやフェイスブックなどソーシャルメディア上には玉石混交の情報があふれている。そこから必要な情報をふるい分け、事実確認を徹底したうえで読者に送り届ける――これが報道機関の基本的役割なのである。

 日経が「本人の許諾を前提」と説明しているのも誤解を招く表現だ。著作権の使用について著作権者から許諾を得るのは当然だが、沼崎教授は著作権の使用料を求めているわけではない。著作権の使用ではなく、報道機関の取材姿勢について苦言しているのだ。

 そもそも、報道機関が記事中で他人のツイートを使う場合、本人から必ず許諾を得なければならないというわけではない。ツイートは多くの人に読まれるのを前提にしている。ツイートをリツイートする場合にいちいち本人から許諾を得る必要がないのと同じである。

 沼崎教授への回答の中で日経は「取材のイロハ」については直接答えずに、「本人の許諾」を強調している。ツイートの転載については「報道」の問題ではなく「著作権」の問題としてとらえているのだろうか。言うまでもないが、報道の世界で「本人の許諾」が原則になったら、「言論の自由」が制約を受けかねない。

 報道機関によるツイートの使用には見逃せない問題がもう1つある。ツイッターでは連続ツイートしない限り、140字以内でつぶやかなければならない。そのため、どんな文脈の中でツイートしているのか分かりにくい。記事の趣旨にぴったりはまるツイートを見つけたからといって、本人に取材しないままでそのまま使ったら、ニュアンスがきちんと伝わらない恐れがある。

 ジャーナリズム教育の最高峰として知られるコロンビア大学ジャーナリズムスクール(Jスクール)も「記事中で他人のツイートを使うときには本人にできる限り連絡するべき」との指導方針を示している。たとえ「なりすまし」や「改ざん」がないと確認できた場合でも、である。

 Jスクールでソーシャルメディアの実践を教えているスリー・スリーニバサン教授の意見を聞いてみた。同教授は「通常の取材でコメントを引用するときに正確性が求められるのと同じ」としたうえで、「ツイートでは前後の文脈が見えにくいからなおさら本人への直接取材が欠かせない」と指摘する。

「たとえば私が『リンゴが好きだ』とツイートしたとしましょう。だからといってイチゴが嫌いなわけじゃありません。でも、記事中で『リンゴが好きだ』とだけ引用されたら、『スリーはリンゴしか好きじゃない』と受け止められる可能性もあります。そんなリスクを防ぐためにも直接取材が望ましいのです」

 政治家ら公人のツイートはどうなのか。

「公人のツイートについてはメディアは違う対応をしてもいいかもしれません。公人はメディアに広く引用してもらうためにツイートしているのですから、新聞紙面上で自分のツイートを見ても驚かないでしょう。それでもなお直接取材が望ましい。短いツイートでは分からない部分が多いからです。不足部分を補う取材は報道の基本です」

 直接取材なしで他人のツイートを基に記事を書くのは、手抜き取材とあまり変わらない。記者は記事中でツイートをコメントとして代用できる。そのため、街中に飛び出して人々に話しかける必要性を感じなくなる。

 ジャーナリストは長い年月をかけて独自の人脈を築いたり、取材技術に磨きをかけたりして職業人としての競争力を高めている。報道現場が「ソーシャルメディア= 情報源」になったら、長年の蓄積を生かせずに競争力を失うだろう。オフィスから一歩も外に出ずに、パソコンやスマートフォンを駆使するだけでそれなりの記事を書けてしまうからだ。

 ソーシャルメディアはジャーナリズムと相性が悪いと言っているのではない。むしろ逆である。東日本大震災直後にもソーシャルメディアは大活躍した。たとえばジャーナリストの津田大介氏。自著『情報の呼吸法』の中で、震災直後にツイッターを全面活用し「震災・原発情報を流すことに24時間ずっと、労力を100%注ぎ込むことができた」と書いている。

 ここで注意しなければならない点が1つある。津田氏は「マスメディアは十分に東北の被害状況を伝えられていない。これから自分ができることは、東北に継続的に足を運んでソーシャルメディアを通じて現状を伝えることだ」と考え、何度も被災地へ行って直接取材しているということだ。

 ジャーナリストにとってソーシャルメディアとは、あくまで自らの取材を補強する手段なのである。ジャーナリストがソーシャルメディアにあまりに依存し、直接取材をないがしろにしては本末転倒だ。ツイートを記事中で安易にコメントとして使えばジャーナリストとして失格だが、ツイッターの活用で取材網を広げるなどすればジャーナリストとして進化できる。

 アメリカでは新興メディア「スト―リファイ(Storify)」が人気だ。ソーシャルメディア上を流れるツイートや写真など膨大な情報をまとめ、記事として公開できるサービスだ。市民ジャーナリストにとっては画期的なサービスといえよう。コメントを取ってくる記者や写真を撮ってくるカメラマンがいなくとも、即席の記事ができてしまうのだ。

 職業ジャーナリストにとってはどうだろうか。新聞社で「スト―リファイ的報道」が中心になれば、記者はオフィスにいたままで即席の記事を書くことになる。経費削減に貢献できるとはいえ、市民ジャーナリストと変わらなくなる。記者が自ら現場に繰り出して直接取材することを怠れば、真に迫るルポや権力の暗部を暴く調査報道は期待できない。

 日経によるツイートの転載は単なる著作権の問題ではない。ソーシャルメディアは職業ジャーナリストにとってもろ刃の剣だ。対応を誤れば、手抜き取材などジャーナリズムの劣化を引き起こす。一方でうまく使いこなせば、情報収集や取材源開拓などの面で強力な武器にもなる。

著者:牧野 洋
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