川口マーン惠美川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」

2011年12月23日(金) 川口マーン惠美

良い大統領と間違った大統領
ニーダーザクセンの政治家はセレブ好き?

シュピーゲル誌より

 ドイツ大統領クリスティアン・ヴルフの足元が、スキャンダルで揺れている。火が点いたのが先週で、今週月曜は彼の写真がシュピーゲル誌の表紙を飾った。タイトルは「間違った大統領(「偽善の大統領」、あるいは、「偽物の大統領」などの訳も可)」。クエスチョンマークは付いていない。

 ドイツの大統領は国家元首で、位としては首相よりも上になる。政治的には中立で、国家が道を誤らないように俯瞰するという、いわゆる良心と知性の重鎮のような役目を果たす。また、政治が紛糾したり、国家が困難に陥ったりすると、"まっとうな"意見を発して、政治家や国民の目を覚まさせてくれる。したがって大統領は、国民の尊敬を集め得る模範的な人格者でなくてはならない。

シュピーゲル誌

 クリスティアン・ヴルフは、2010年6月30日に大統領に選出された。52歳という異例の若さだ。就任前はニーダーザクセン州の州知事だった。

 今までの大統領が、保守派にしろ、革新派にしろ、皆、厳格で伝統を重んじるタイプであったのに対して、ヴルフはすべて現代風。たとえば、離婚と再婚。現在のドイツの離婚率は50%を超えるし、歴代首相もほとんど離婚と再婚の経験者なので、それ自体は珍しくも何ともないが、大統領は話が別だ。前例がない。しかも、ヴルフはCDU(キリスト教民主同盟)の党員でカトリックである。カトリック教会は、今でも離婚を認めていない。

 さらに、2008年に再婚した相手が、14歳下で、腕にタトゥーのある長身美人。気品は少々欠けるが、それ以来、女性週刊誌の人気スターだ。その彼女も再婚なので、ヴルフ家には、夫の連れ子、妻の連れ子、そして2人の間にできた子供がいて、今はやりのパッチワーク・ファミリー。これも従来の大統領ではあり得ない。そんなわけで、就任当時は「これが私たちの国家元首か?」と、眉をしかめたドイツ国民は多かった。

 しかし、肝心なのは大統領としての業績だ。たとえば、ユーロ危機で国家が困難に陥っている現在、進行方向のわからなくなってしまっている政治家たちを勇気づけ、啓示を与えるような珠玉の意見を発してくれるなら、国民は大統領の家庭が現代風過ぎることも、ファーストレディの入れ墨も、すべて忘れて満足するに違いない。

 ところが、肝心のその意見の発信がまことに心もとない。たいてい、沈黙しているか、ありきたりのことを言うかのどちらかだ。最近では、彼がニュースに登場するのは外遊のときだけで、もちろん、いつもニコニコ握手のシーン。そんなわけで、就任以来1年余り、国民は大統領の存在を、ほとんど忘れてしまっていた。

 ところが先週以来、ヴルフは注目の的だ。2008年、ニーダーザクセンの知事だった当時、自宅を買うために、大金持ちの友人Gから、無担保、低利子という有利な条件で融資を受けたにもかかわらず、2010年に州議会でそのことを問われた時、「ノー」と答えたことがわかったのだ。州の法律では、知事が有利な融資を受けることは禁じられている。つまり、ヴルフは公聴会で嘘の証言をしただけでなく、州法に抵触している可能性もある。

 それに対して13日、ヴルフの弁護士事務所は、「融資を受けたのはG氏からではなく、その妻からであった」と釈明したが、あとになって、これがまた嘘であったとわかった。ドイツはキリスト教の国なので、嘘をついたことがばれるととても不味い。二度もつくと、たいてい助からない。そこで、にわかかに批難が高まり、さらに他の疑惑も出てきた。

 慌てた弁護士事務所は、ヴルフの潔白を示すため、急遽、彼の過去の休暇リストを公表するが、これがまた火に油を注ぐ結果となった。というのも、ヴルフは州知事時代、数人のセレブ友人の別荘で、6回もおんぶに抱っこの豪華ホリデーを過ごしていたのだ。場所は、スペイン、フロリダ、イタリア、ノルダナイ島(北海)など。

 さらに20日には、2007年にヴルフの著書が出たとき、プロモーション費用を実業家の友人Mに全額負担してもらっていたこともすっぱ抜かれた(ヴルフ本人はそのことを知らなかったとか)。とにかく、まだまだ出てきそうな勢いだ。

 シュピーゲル誌によると、ヴルフのセレブ好きは有名だったようだ。ヴルフ自身は貧しい家庭の出身で、しかも、かなり不幸な子供時代を過ごしたが、そのためか、早くから政治の世界に身を投じ、一直線に出世階段を上った。ただ2008年当時、州知事ヴルフは、なぜか金欠状態で、若妻のために家を買うのもままならなかったという。その上、最初の妻と違い、若妻はヴルフと同じくセレブ好き、派手好き。そんな折、有利な融資や無料の豪華ホリデーへのご招待は、渡りに船だったに違いない。

 ちなみに、問題になっている自宅の融資額は、驚くことなかれ、たったの50万ユーロ(現在ユーロ安なので円に換算すると5000万円ちょっと)だ。私たち庶民でも、手に届きそうな額だ。ただ私たちなら、家が欲しければ、こつこつと働いて買う。旅行に行きたければ、やはりこつこつ働いて行く。何の因果で、州知事がこそこそと融資を受けたり、他人様に自分たちが遊ぶ費用を出してもらったりしなければいけないのか、それがわからない。いくら招待されたからといっても、何だか浅ましい。

 ところでセレブの友人とは誰か? 融資をしたGは、不動産と廃品回収のリサイクル、貴金属売買などで巨万の富を築いた実業家。彼は、ヴルフの外遊に3度も同行している。インド、中国、アメリカ、そして、2009年には日本にも一緒に来た。

 一方、本の広告費を負担したMは、インサイダー取引の疑いの高いいわくつきの金融関係者。その他の友人たちも、お金は捨てるほどある華やかな人たちだ。ただ、彼らにはそれぞれ政治の世界に近づきたい理由があったのだろう。よくある話だが、これを聞いた後、大統領を尊敬しろと言われても、ドイツ国民はやはり腰が引ける。また、すべてを弁護士事務所に代弁させ、本人からの説明がないことについては、CDU内からも疑問の声が上がり始めている。

 さて、こうしてドイツ人が憤慨していた18日、チェコの元大統領バツラフ・ハベルが亡くなったというニュースが入った。元々、劇作家だったハベルは、68年の改革運動「プラハの春」に、非党員組織「独立作家の会」議長として参加した。しかし、運動はワルシャワ条約機構軍の戦車に押しつぶされ、ハベルはその後、反政府運動に身を投じることになる。

 80年代、チェコスロバキアの民主化運動は再び燃え上がった。主導者はハベルだ。長い闘争の末、89年に無血革命が成功し、12月、ハベルは大統領となった。革命は、民主主義への移行がビロードのようになめらかに行われたという意味で、ビロード革命と呼ばれている。

 ハベルは、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれたあとも、2003年までチェコの大統領を務めた。しかし、大統領就任中から健康状態はすぐれず、肺炎や肺がんで入院や手術を繰り返していた。健康悪化の原因の一つは、反政府運動家だったころ、5年間の刑務所生活で、肺炎に掛かっていたにもかかわらず放置されたせいだとも言われている。それでも自由への意思は弱まらず、去年のノーベル平和賞に中国の反政府活動家、劉暁波氏を強く推したのも、また、北朝鮮の拉致問題に対して抗議の声を上げ続けてきたのもハベルであった。

 死のニュースが伝わった途端、プラハでは市民が自然発生的に街頭に繰り出し、ビロード革命の舞台となったあちこちの広場に集まって、静かに花やローソクを並べていた。テレビの映像からも、国中に悲しみが立ち込めているのが、しっかりと伝わってくる。

 翌日は、遺体の安置された旧市街の聖アンナ教会に、大勢の一般市民がお別れに詰めかけ、それぞれ一輪のバラを手に長い行列を作っている姿が印象的だった。それにしても、亡き大統領を心から追悼できる国民は、なんと幸せなことであろうか。ハベル大統領は、良い大統領だったのである。

 さて、話はドイツに戻る。20日、ニーダーザクセン州議会は、急遽、長老会議なるものを開いた。ヴルフ大統領の融資の件を吟味する予定だったが、しかし冒頭で、この会議に管轄権があるか否かというところで与野党の意見が紛糾し、何もせずにそそくさとお開きになった。各政党の思惑が交錯する中、ヴルフ大統領がこのまま逃げ切ってしまう可能性は高い。しかし、だからといって、彼が国民の信頼を再び取り戻せるとは思えない。尊敬される人間の就く役職に、尊敬されない人間が就くのは、皆にとって不幸なことだ。

 そういえば、元シュレーダー首相もニーダーザクセンの政治家で、彼もセレブ好きだった。しかも仲のよかったプーチン首相については、「虫眼鏡で見ても瑕疵のない(完璧な)民主主義者」と言い切った。冗談ではなく、本気でだ。

 そして、首相就任中、ロシアからの天然ガスパイプラインのプロジェクトを強引に決め、政治から足を洗った今では、そのパイプラインを建設する会社の監査役(役員を選ぶ役員)に収まっている。これに関しては、汚職の疑いは永久に残るままだが、そんなことはどこ吹く風、こちらも「虫眼鏡で見ても瑕疵のないジェントルマン」振りを気取っている。

 こうして見ると、どうもヴルフ氏も、大統領よりも経済界の方が性に合うのではないかという気がする。12月24日は、ドイツの恒例の、かつ、一年で一番大切なスピーチ、「大統領のクリスマス・スピーチ」が行われる日だが、始まる前からちょっと白ける。