対談 岩瀬大輔×坪田知己〔前編〕
岩瀬大輔ライフネット生命保険株式会社代表取締役副社長 1976年埼玉県生まれ。東京大学法学部を卒業。ボストン・コンサルティング・グループ、リップル・ウッドなどを経て、2004年にハーバード・ビジネス・スクールへ留学。日本人としては4人目の「ベイカー・スカラー(上位5%の優等生)」を獲得し、ライフネット生命の創業に関わる。著書に「生命保険のからくり」(文春新書)など。
坪田 岩瀬さんは今回、09年10月に出版された『生命保険のカラクリ』(文春新書)の全文をネットで無料公開されると伺いました。まだ新刊で出回っている本を丸ごと無料で公開するというのは、日本の出版界にとってはこれまで考えられない試みです。そもそも、この本の執筆のきっかけから教えてください。
岩瀬 もともと私は、生命保険とはまったく関係のない業界にいました。その頃の生命保険に対する印象は、“複雑”“判りにくい”です。中に入ってみてようやくカラクリが判ってきて、実は簡単なことだったんだと気づいたんです。
そして、生保業界は、お客さんがよく判っていないのをいいことに、自分たちに都合のいいことだけを言って商品を売っていることも知りました。気づいたことを書きためていたメモをまとめたのが、この本です。08年5月にライフネット生命保険という会社を始めたばかりでしたから、ひとりでも多くの人に会社を知ってもらいたいという気持ちもありました。
坪田 それを今回、無料で公開するのはどういった理由ですか。
岩瀬 会社のこともそうですが、より多くの人に、生命保険の仕組みを知っていただきたいと思ったからです。契約者が生命保険の本当の値段がいくらが知るのは重要なことでしょう。こういった公共性の高い情報の提供は、国や保険業界のすることだと思うのですが、これまでそうしたことが行われてこなかったというのも理由です。
「フリー」にするメリットは何か
坪田知己慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別研究教授 1949年岡山市生まれ。東京教育大学文学部哲学科卒業後、72年日本経済新聞社入社。経済部記者、日経BP社「日経コンピュータ」副編集長などを経て、2005年、新聞業界では初めてのメディアビジネスの総合的な研究を行う「日経メディアラボ」発足に伴い、初代所長に就任。著書に『2030年 メディアのかたち』(講談社刊)など
坪田 クリス・アンダーソンの書いた『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(日本放送出版協会)という本が売れています。あらゆるものが無料になって、ビジネスはその周囲のイベントやスペシャル版で行われていくという事象をまとめたものです。この本はそれ自体も、出版前にその内容が無料で公開され、話題になりました。
岩瀬 私も読みましたが、非常に興味深いですね。今回、無料で公開するというアイデアは、このフリーを意識しています。
坪田 岩瀬さんも、もし書籍として売る前にネット上で無料公開していたら、さらにインパクトがあったでしょう。
岩瀬 そうでしょうね。
坪田 一方で、出版社側は本を出す以上は売り上げにつなげたいと考えるものです。岩瀬さんは、書いた内容を広く知って欲しい。出版社は、より多く売れて欲しい。それぞれしたいことがあって、それがクロスしないとなりませんね。広く知ってもらうためだけなら、そもそも本にしないで、最初からネットだけにする選択肢はなかったのですか。
岩瀬 本と同じ内容をPDFにしてネットで公開するのは簡単ですが、それでは読む人がいません。書籍にすれば、流通ルートに乗り、今回の場合は文春新書の新刊として書店に並びます、新聞広告や書評欄に出ることで、読者の目に触れることもあります。一方で、いきなりネットで公開をしても、誰の目にも触れないままになってしまいます。ですから、いったんはすでにあるシステムに乗せようと思いました。
坪田 ただサイトで書いてるだけでは注目されないということですね。しかし、まだ売れている本です。よく出版社がOKをしましたね。
岩瀬 おかげさまでこの本は、現在6刷まで来ています。なので出版社としてももう充分にもとはとったでしょう(笑)。それに、公開されたものを見て買う人もいるでしょう。そう説得し、理解をしていただきました。ただ、前例のないことなので、出版社は悩んだだろうとは思います。
ネットで見かけた方が買ってくれる可能性は充分にあると思っています。今回の本は、多くの方が1000万円近くを支払う生命保険についてのガイド本です。読み流して終わりではなく、『家庭の医学』のように手元に置いておこう、819円なら買おうと思ってくれる方がいるはずです。
そもそも書籍だって、やろうと思えばタダでアクセスできるものです。立ち読みができますし、図書館もあります。ネットでタダで公開されているならそれで満足という方もいるでしょう。
しかし、1ユーザーとして考えると、250ページもあるPDFを読むのは辛いんですね。印刷したとしても、紙代やインク代を考えると、新書一冊分の代金に相当すると思います。
坪田 すると、全文は公開しても、考え方としては、アマゾンの「なか見!検索」のようなものですか。こういう情報があるなら買ってみようかなと思ってもらうという。
岩瀬 そうですね。
ホームページと書籍の違い
坪田 今回の岩瀬さんのチャレンジは、一つのテーマについて書き込む、新書というパッケージがあってのことですね。そうなると、あらためて本とは何なのかという話になります。岩瀬さんも、この本を読むと落語で言う枕のような話を最初に書いて、それから個別の話を書いています。読者がシーケンシャルに読むことを前提とした作りにしています。そのストーリーを作るテクニックがないと本にはならないのですが、執筆に当たってはそのあたりは意識しましたか。

岩瀬 いいえ、そこまでは考えていません。ただ、これだけの量の文章を読んでもらうための媒体が、本しかなかったのです。本以外の媒体がすでにあれば検討したと思います。工夫した点があるとすれば、保険の話だけ書いても面白くないだろうから、エピソードを交えたくらいです。
実は同じような内容は、会社のホームページにも掲載していました。PDFで配布することもできましたが、やはり読みにくいと思います。書籍の持つ、混んだ電車でも読めるというポータビリティもありません。
今回、ウェブでPDFを公開するに当たって考えたのはこのあたりです。
これまでは書籍に対して漠然と支払ってきたお金は、コンテンツだけではなく、パッケージやポータビリティ、読みやすさに対しても支払っていました。ウェブで公開する場合は、書籍という形でハンドリングされていたものがバラバラになるということだと思いました。だから、ただ本をスキャンしただけならタダでしょう。でも、iPhoneで読みやすいように加工してあれば有料ということになると思います。
本を買うとき、何に対してお金を払っていたのかが、クリアになるのではないでしょうか。
坪田 保険の何に対してお金を払っていたかがこの本で判るようになるのと、似ていますね。さきほど私は書籍にはストーリーが求められるというお話をしました。しかし世の中は、そうではない方へ動いています。
東浩紀さんが、『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』 (講談社現代新書)の中でこんなようなことを書いています。昔の人は、部分を理解するためにも全体を理解しようとした。けれど今は違う。全体をわかろうとはせず、知りたいところだけを知ろうとする。
これは、私たちのグーグルへのアクセスを見てもその通りです。それなのに書籍はストーリーという全体を作って読ませようとしています。私は、これはもっとインデックス化されていいと思います。ストーリーもあっていいのですが、前後関係にとらわれず、つまみ食いされても構わないと思うのです。
ウェブのいいところは検索性。これは紙ではできません。そう考えるとPDFにしただけでは中途半端です。検索性を高めて断片的に読んでももらい、では網羅して読むにはPDFは読みづらいので本を買ってもらうというようになればいい。
岩瀬 そうですね。PDF内では検索もできるので、ストーリーへの入り口になると思います。そこは私も意識しました。ネット公開が書籍よりすぐれている点の一つは、この検索性にありますね。
「活字離れ」というウソ
坪田 さきほど、出版社の方が、無料で全文を公開することを悩まれたという話がありました。岩瀬さんは「ネットで全文を公開すると売り上げが落ちる」という説をどう思いますか。
岩瀬 「ネットで全文を公開すると」という前提は必要ないと思います。その理由はふたつあります。ひとつは先ほども申し上げましたとおり、すでに書店での立ち読みや図書館の利用などで、タダで書籍にアクセスする方法はあるという点です。
もうひとつは、聞いた話ですが、カフェ併設の書店が出てきた頃は、その書店が売り上げを伸ばした。でも他の書店が同じようなことをすると、売り上げは減った。活字全体についても、同じことが言えると思います。R25というフリーペーパーが出てきたときにも言われましたが、起きている現象は活字離れではなく、ネットを含めた無料でアクセスできる活字の増加です。さらに増えていくのは時間の問題でしょう。
坪田 その通りだと思います。
私も自著『2030年 メディアのかたち』(現代プレミアブック)で触れましたし、先日は日本記者クラブでもレクチャーをしましたが、総務省がまとめた『情報流通センサス』の報告書によると、1995年から2005年にかけて、発信される情報の数は410倍になっています。そして、消費量も13倍になっている。結果として、消費率は30分の1に減りました。消費する側は、太平洋のど真ん中でタモで情報を掬おうとしているわけです。
(以下、後編へ続く)




