週刊現代賢者の知恵

2011年11月07日(月) 週刊現代

大反響!世界同時ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』
独占掲載第2回 ガンとの闘い

ジョブズの死の直後、世界中のアップルストアにはファンが手向けた花が〔PHOTO〕gettyimages

 10月24日に世界同時発売された評伝『スティーブ・ジョブズ』は、発売と同時に版を重ね、日本でも累計85万部に達した。11月1日刊行のⅡ巻の内容を中心に、アップル復帰からその最期までを紹介する。

今日の敗者も明日は勝者に

〈「イノベーションがないに等しい状況になってしまった。マイクロソフトがすべてを支配し、イノベーションはほとんどない。アップルは敗れた。デスクトップ市場は暗黒時代に入ったんだ」〉

「(アップルCEOの)スカリーがなまくらな連中となまくらな価値を持ち込み、アップルをだめにしたんだ。あいつらが気にするのは金儲け---主に自分たちのためだけどアップルにも儲けさせようとした---であって、すばらしい製品を作ることじゃなかった」〉

 天才的なセンスを持ちながら、〈人は「賢人」か「ばか野郎」しかいないし、その仕事は「最高」か「最低最悪」しかない〉という苛烈な性格が災いし、1985年、自ら創業したアップルを追われたスティーブ・ジョブズ。しかも、今となっては考えられないが、ジョブズが去ったことによりアップルの株価は7%近くも上昇。その理由について、株式ニュースには「東海岸の株主は、アップルはカリフォルニアの奇人が経営している点に懸念を抱いてきた」とまで書かれた。

 冒頭のように、コンピュータ市場や古巣について悪態をつきながら、彼は失意のどん底にいた。

〈ジョブズは自宅にこもった。ブラインドを下ろし、留守番電話にして、恋人のティナ・レドセとしか会わなかった。床に座り、何時間もボブ・ディランのテープを聴く。とくに「時代は変わる」を繰り返し聴いた。16ヵ月前、マッキントッシュを株主に紹介したとき、2番の歌詞を紹介した歌だ。そう、最後が「今日の敗者も/明日は勝者に転じるだろう・・・・・・」というあの歌である〉

 アップル追放後すぐにコンピュータ会社ネクストを創業したもののうまくいかず、映像制作会社ピクサーのCEOとして映画『トイ・ストーリー』をヒットさせたが、それだけでは満たされない。そして、'96年12月。ジョブズを失ってからマイクロソフトにいいようにやられていたアップルが、ついにネクスト社を買収し、ジョブズを呼び戻す決断をする。追放から11年が経っていた。

 ライバルのビル・ゲイツは、ジョブズ復帰を検討するアップル幹部に、こう語った。

〈「スティーブはテクノロジーなんてなにもわからないってご存じないんですか? 単なるスーパーセールスマンなんですよ。そんなバカげた決定をなさるなんて信じられません・・・・・・彼はエンジニアリングについてなにもわかってないし、言うこと、考えることの99パーセントは間違ってる」〉

 ゲイツにとっても、ジョブズの復帰は脅威だったのだろう。一方、復帰を決めたジョブズに、アップルの経営陣に対する遠慮はなかった。

〈「輝きを取り戻さなければならない。この10年、マックはほとんど進化しなかった。だからウィンドウズに追いつかれてしまった。だから、もっといいOSを開発しなければならない」

 このあとすぐ、ジョブズは、自分が信頼する部下をアップルの要職に就けはじめる。

「ネクストから移籍した優秀な人々が、当時、アップルの要職にいた、あまり優秀でない連中に後ろから刺されることがないようにしたいと思ったんだ」〉

 当時のCEOだったギル・アメリオについては、もっとも辛辣である。

〈ギルはまぬけだと真実を告げるか、あるいは言わないという形のうそをつくかしかないと思った。アップルがとても大事だったから、真実を告げようと思ったんだ。だから、彼はいままで見たことがないほどひどいCEOだ、CEOに免許があるなら彼には取れないだろうって話した。電話を切ったとき思ったよ。ばかなことをしてしまったのかもしれないって〉

 この時点ではアドバイザーという立場だったジョブズは、アメリオがCEOの座から追われた後、紆余曲折を経て、最終的にCEOに就く。これにより、アップルは生まれ変わり、ジョブズ自身も再生した。

パワーポイントは使用禁止

 創業者ジョブズのアップルに対する思いを率直にぶつけたスピーチがある。'97年8月、アップルのファンを招いて開かれたイベントでジョブズが語ったメッセージである。

「我々も常識とは違うことを考え、アップルの製品をずっと買い続けてくれている人々のためにいい仕事をしたいと思う。自分はおかしいんじゃないかと思う瞬間が人にはある。でも、その異常こそ天賦の才の表れなんだ」〉

 その「天賦の才」を、ジョブズは製品づくりのみならず、ビジネスの合理化においても発揮していく。

〈「なにをしないのか決めるのは、なにをするのか決めるのと同じくらい大事だ。会社についてもそうだし、製品についてもそうだ」

 ジョブズは、アップルに復帰すると同時にこの集中原理を適用してゆく〉

 アップルに何十とある製品チームとのミーティングでは、なにをしているのか、担当者にジョブズがたずね、製品やプロジェクトを継続しなければならない理由を説明させた。

 このときジョブズは、会議やプレゼンに欠かせないパワーポイントの使用を禁止している。その理由が興味深い。

〈「考えもせずにスライドプレゼンテーションをしようとするのが嫌でねぇ。プレゼンテーションをするのが問題への対処だと思ってる。次々とスライドなんか見せず、ちゃんと問題に向き合ってほしい。課題を徹底的に吟味してほしいんだ。自分の仕事をちゃんとわかっている人はパワーポイントなんかいらないよ」〉

 こうして「勘違いチームがガラクタを山のように作って」いた現状にメスを入れることにした彼は、あるとき会議で声を荒らげた。

〈「もういい!」

 全社的な製品戦略のセッションだった。

「あまりにバカげている」

 マーカーを手にするとホワイトボードのところへゆき、大きく「田」の字を描く。

「我々が必要とするのはこれだけだ」

 そう言いながら、升目の上には「消費者」「プロ」、左側には「デスクトップ」「ポータブル」と書き込む。各分野ごとにひとつずつ、合計4種類のすごい製品を作れ、それが君たちの仕事だとジョブズは宣言した〉

 彼が陣頭指揮を取ると、2年間赤字だったアップルの業績はわずか四半期で黒字転換した。

会社の中から100人選べ!

 この後、ジョブズが手掛ける製品はことごとく大ヒットを飛ばす。復帰後最初の大型商品iMacも、世間から絶賛された。「あの男」を除いては。

〈「iMacが絶賛されているがこれは短期的な流行である」と、マイクロソフトに集まったアナリストにビル・ゲイツが語ったのだ。これにジョブズは怒った。

「他社がだめなのは、これをファッションだ、見た目の問題だと考えているところだ。このくだらないコンピュータにちょっと色を塗れば、俺たちにも同じものが作れる、そう言ってるんだから」〉

 '98年8月に発売されたiMacは、年末までに80万台を売り上げ、アップル史上最高の売れ行きとなった。アップルの快進撃は、iPod、iPhone、iPadと続くが、じつはジョブズは「世界一給料の安いCEO」と呼ばれ、わずか1ドルの年俸しかもらっていなかった。

〈「50セントは出社分で、残りの50セントが成果の評価さ」ジョブズお気に入りのジョークである〉

 アップルがパソコンメーカーから脱皮し、大きな変貌をとげるきっかけになったiPodは、ジョブズが編み出した、ある特異な会議のなかから誕生した。

〈ジョブズは毎年、トップクラスの社員だけを集めて「ザ・トップ100」という研修会を開いている。選定基準はシンプル。〝救命ボートに乗せて次の会社に連れて行けるのが100人だけならば誰を連れてゆくか〟である。毎回、最後にはジョブズがホワイトボードの前に立ち、

「我々が今後すべきことを10あげてくれ」

 と呼びかける。しばらくやり取りを続けると、10個の項目が書かれたリストが完成する。ここでジョブズは下側7つに斜線を引いて、こう宣言する。

「我々にできるのは3つまでだ」〉

 こうやって絞り込まれたなかにiPodのアイデアが埋もれていたのだ。

 ユーザーの絶大な支持を獲得したiPodのヒットによって、ジョブズはある成功の法則を導き出す。それについてジョブズはこう語っている。

〈iPodを宣伝すればマックも同じように売れるはずだと、すごいことに気づいたんだ。おまけに、iPodがあればアップルはイノベーションと若さをイメージする会社としてもアピールできる。だから7500万ドルの広告費をiPodに移した。このカテゴリーに投入するのは、その100分の1でも多すぎると言われるはずなんだけどね。言い換えれば、音楽プレイヤーの市場を圧倒したわけだ。他社の100倍も資金を投入したんだから〉

 iPodのヒットは、のちに世界中からCDショップが次々に姿を消すことになる音楽業界の一大転換点となった。

 時を同じくして、ジョブズにも大きな転機が訪れていた。ガンという病魔との闘い。医師から精密検査を求められたのは2003年秋のことだった。腫瘍は膵臓にできていた。医学的には手術で取り除くしかない。しかし、ジョブズはこれを頑なに拒否する。

〈「体を開けていじられるのが嫌で、ほかに方法がないか少しやってみたんだ」

 そう当時を回想するジョブズの声には、悔やむような響きが感じられた。

 具体的には、まず、新鮮なにんじんとフルーツのジュースを大量に取る絶対菜食主義を実践。これに鍼治療やハーブを併用した。インターネットで見つけた療法や、心霊治療の専門家など他人から勧められた治療も試してみた。

 ジョブズの抵抗は2003年10月の診断から9ヵ月間続いた。

('91年に結婚した妻の)パウエルは説明する。

「スティーブは直面したくないことはみんな無視してしまうのです。そういう人なんですよ」〉

 結局、手術は'04年7月に行われた。残念ながら、すでにガンは肝臓にも転移していた。ジョブズは化学療法を続けることになった。

ゲイツが自宅にやってきた

 この頃、スタンフォード大学の依頼で、卒業式の記念スピーチをしている。滅多にこの種の依頼を受けないジョブズだが、ガン宣告、さらにスピーチの4ヵ月前、'05年2月に50歳になったことから心境に変化があったのだろう。このスピーチは「伝説のスピーチ」と呼ばれている。

〈人生を左右する分かれ道を選ぶとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことが---周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖など---そういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません〉

 死を意識するようになったジョブズは残り時間を惜しむかのように新製品開発に力を注いだ。「伝説のスピーチ」と同じ'05年、iPodが空前の売れ行きをみせているさなか、ジョブズは次の画期的商品の開発に乗り出す。いまや携帯電話市場の中心となったiPhoneである。

 そのきっかけは「携帯電話に音楽再生機能がついたら、iPodは不要になるのではないか」という部下の言葉だった。iPhoneは'07年1月に発表されたが、ジョブズはこれを「いままで作ったなかで最高の一品」と自賛し、「キリストの電話」というニックネームもつけられた。

 翌年、ジョブズのガンが再発。'10年1月、ジョブズにとって最後といっていい新商品iPadの発表。例によって、ビル・ゲイツはこれを酷評したが、その一方で、療養中のジョブズを訪問している。

そしてある日の午後、ゲイツはジョブズの自宅へ車を走らせ、裏門から入ると、開いていたキッチンのドアから中をのぞき、テーブルで勉強をしていた(末娘の)イブにたずねた。

「スティーブはいるかい?」

 イブが指さした先はリビングだった。

 それから3時間あまり、ふたりだけで昔話をした。

 ジョブズは薄気味悪いほどやせていたが、意外なほど元気であることにゲイツも驚いていた〉

 しかし、体調は回復せず、今年8月にアップルCEOを辞任。ジョブズは人々の前から姿を消した。

 彼はiPodに画期的な機能を搭載している。「オン」「オフ」のボタンをなくし、使いたいときに電源が入り、使わないときは勝手に電源が切れる。いまはおなじみになったが、iPodが登場した当初は誰もが驚いた機能だった。彼はなぜこの機能にこだわったのか。

〈「神を信じるかと言われれば半々というところだね。僕は、目に見えるものだけが世界ではないはずだとずっと思ってきた」

 死に直面し、来世があると信じたい気持ちが強くなっているのかもしれないともわかっている。

 長い沈黙が訪れた。

「でも、もしかしたら、オン・オフのスイッチみたいなものなのかもしれない。パチン! その瞬間にさっと消えてしまうんだ。

 だからなのかもしれないね。アップルの製品にオン・オフのスイッチをつけたくないと思ったのは」〉

 2011年10月5日、スティーブ・ジョブズ永眠。享年56。

「週刊現代」2011年11月12日号より

 

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