磯山 友幸磯山友幸「経済ニュースの裏側」

2011年11月02日(水) 磯山 友幸

「予算編成」の文字は消え、メンバーも改革派は少数。財務省の思惑通り「骨抜き」になった国家戦略会議

古川元久国家戦略担当大臣〔PHOTO〕gettyimages

 野田佳彦内閣は財務省傀儡かどうかは、「国家戦略会議」の立て付けを見ていれば分かる、という記事を、野田政権発足直後に本欄で書いた。

 その国家戦略会議が2ヵ月近くたった10月28日になってようやく初会合を開いた。この間の、会議設立に向けた動きをつぶさに見てみれば、野田内閣と財務省の力関係が鮮明に浮かび上がってくる。組閣に当たって野田首相が古川元久議員を国家戦略担当相に抜擢し、国家戦略会議の設置を指示した段階では、野田首相は財務省の軍門に下る気はなかったに違いない。

 増税を明言することで財務省の全面的な協力を得る一方で、国家戦略会議を設置して財務省の暴走を抑えることを考えていたのだろう。大蔵省(現財務省)出身とはいえ、財務省幹部には決して評判が良いとは言えない古川氏を斬込み隊長にしたのも、計算したうえでの判断だったのだろう。

 首相周辺によれば、野田首相は古川氏に、国家戦略会議の早期設置を促していた。自民党政権時代に官邸主導のツールとして機能した「経済財政諮問会議を事実上復活し、国家戦略会議という通称にすればいい」とまで言っていた、という。経済財政諮問会議では民間議員が作った改革案を首相の決断で通し、予算案作成に向けての「骨太の方針」としてまとめていた。

 予算編成権こそが権力の源泉である財務省からすれば、大枠をはめられる「骨太の方針」は鬱陶しく、それを作る経済財政諮問会議は何としても葬りたい存在だった。それだけに、経済財政諮問会議の復活だけは何としても阻止したかったはずだ。古川氏は大臣就任直後に、竹中平蔵・元総務相や塩崎恭久・元官房長官に会っている。そして、国家戦略会議の設置についてアドバイスを受けたという。

 竹中氏は小泉純一郎内閣時代に、塩崎氏は安倍晋三内閣時代に、経済財政諮問会議をフル活用し、霞ヶ関と対峙した経験を持つ。竹中氏は古川戦略相に「とにかく野田首相とバイ(二人きり)で会う機会を頻繁に持つことだ」とアドバイスした、という。

 ところが、一部報道によれば、首相と古川戦略相の面会はなかなか実現しなかった。財務省から派遣されている首相秘書官が日程を握り、阻止していたというのだ。これについて古川氏は「首相とは15分くらいの話はよくしていた」と否定するが、古川氏自身が配信しているメールマガジンでは9月30日になってこんなことを書いている。

 〈 総理、官房長官と3人で昼食を取りました。本会議があったので40分程度ですが、これだけ時間をとって総理と話をしたのは、内閣発足以来初めてです 〉

 9月2日の発足以降、一ヵ月近く首相と戦略相がじっくり懇談する機会は作られていなかったということを吐露しているのだ。国家戦略会議発足までに2ヵ月を要したのは、大きな意味を持つ。組閣後すぐに会議が発足していれば、年末までに大枠を決める来年度(24年度)予算案の編成に方針を反映させることも可能だったはずだ。

 ところが、発足が10月末では予算案編成までに国家戦略会議としての方向性を打ち出すことは難しい。いくら立派な国家戦略を作っても、それが予算に盛り込まれなければ何も実現しない。それが国家というものだ。国家戦略会議の提言が実行に移されるのは25年度以降ということになるが、その予算案を作る来年の秋まで野田内閣が続いている保証はない。

 つまり、発足まで2ヵ月もかかったのは、財務省にとっては緒戦で大勝利を収めたようなものなのである。国家戦略会議の開催は10月21日に閣議決定された。結局、法的な裏付けのない会議体となった。経済財政諮問会議は設置が法律で明記され、明確な権限を持っていたが、それとはまったく異なる位置づけになったのだ。

 首相周辺は「国会のねじれが続いている中で法律を通すのは困難だった」と言う。だからこそ、経済財政諮問会議自体を復活させる手もあったのだが、小泉竹中改革の司令塔というイメージが強く民主党内に反発が強いため、結局この手は封印したままとなった。閣議決定された文書に記載された国家戦略会議の位置づけも、経済財政諮問会議とは大きく異なる。

 文書にはこう記載されている。〈 税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔並びに政策推進の原動力として、総理のリーダーシップの下、産官学の英知を結集し、重要基本方針の取りまとめ等を行うとともに、国の未来への新たな展望を提示するため、新時代の中長期的な国家ビジョンの構想を行う 〉

 一方の経済財政諮問会議の役割は内閣府設置法にこう書かれていた。「内閣総理大臣の諮問に応じて経済全般の運営の基本方針、財政運営の基本、予算編成の基本方針その他の経済財政政策に関する重要事項について調査審議すること」比較すれば一目瞭然だが、「財政」「経済」という言葉は残っているが、「予算編成」という言葉はきれいに消えている。その代わりに「税」という文字が加わっているのも注目点だ。

 つまり、国家戦略会議には予算に関わる基本方針を決めるという役割は与えられていない、と読むべきだろう。もちろん、首相のリーダーシップで、国家戦略会議で決まった事を予算に盛り込むことは可能だ、という反論はあり得る。

 だが、現実には、首相が議長を務める場で予算の大枠として決めなければ、省庁の縦割りの予算要求と財務省による査定という昔ながらの形式に楔を打ち込むことはできない。国家戦略会議のメンバーをみても、強引に官僚の壁を打破できるようなパワーを持った人物は見当たらない。経済財政諮問会議では11人のメンバーのうち、改革派の学者や財界人など民間が4人を占め、首相と官房長官がこれに加われば過半数を超えた。

 つまり、各省庁の権益を代表する大臣たちの主張を押さえ込むことができたのだ。今回の国家戦略会議のメンバーは以下の通りだ。

野田佳彦内閣総理大臣 藤村修内閣官房長官 古川元久国家戦略担当大臣 川端達夫総務大臣 玄葉光一郎外務大臣 安住淳財務大臣 枝野幸男経済産業大臣 白川方明日本銀行総裁 岩田一政日本経済研究センター理事長 緒方貞子国際協力機構理事長 古賀伸明日本労働組合総連合会会長 長谷川閑史武田薬品工業社長・経済同友会代表幹事 米倉弘昌住友化学会長・日本経団連会長 

 改革派として旗を振りそうなのは、学者の岩田一政氏と、経済同友会代表幹事の長谷川閑史氏ぐらいだろう。労働組合も民間ではあるが、改革には反対する守旧派に回ることが多い。緒方氏は独立行政法人のトップで、霞ヶ関の代弁者という役回りを担うことになるのだろう。つまり、どう考えても、改革派が過半数を握ることは難しい布陣なのだ。

 第1回の会合もこれを如実に示した。会議では民間議員2人が独自に配布資料を用意したが、その2人とは岩田氏と長谷川氏だったのだ。経済財政諮問会議では、メンバーは内閣官房に執務室を持ち、事務局の職員を使って「民間議員ペーパー」の作成ができた。ところが、今回のメンバーには執務室は与えられないらしい。

 今後、国家戦略会議は何を行なっていくのか。当面は、2010年6月に決めた「新成長戦略」の見直し作業を行い、産業空洞化対策など、震災を踏まえた「日本再生の基本戦略」を年内にまとめる、という。当初は具体策まで盛り込んだ「日本再生戦略」年末までに、という話だったが、いつの間にかこれは「来年半ばをめどに」ということになった。

 これでは従来の役所の審議会とあまり変わらない機能しか果たせないのではないか。ここまで書き進んでくると、国家戦略会議に関する限り、野田内閣は財務省に完敗したことが歴然としてくる。戦略会議の立て付けに失敗した今、首相が財務省や霞ヶ関を敵に回してリーダーシップを発揮するのは、ほぼ困難だろう。もし、野田首相が政権を長続きさせようと考えれば、財務省傀儡というレッテルを甘受し続けるほかなさそうだ。