週刊現代経済の死角

2010年02月08日(月) 週刊現代

キリン・サントリー、経営統合破断の可能性
カギを握るのは98歳のゴッドマザー
社員も知らない全内幕

キリンは昨年、ビール事業で9年ぶりにシェア1位(課税ベース)を奪回した。今後世界市場に挑戦するためには、サントリーとの大型合併を断行するしかない。しかし、不穏な情報が流れ始めて―――。

交渉がピタッと止まった

サントリー・佐治社長(上)、キリン・加藤社長(下)の「トップ会談」で交渉がスタートしたが

 ついに「破談の可能性」まで語られはじめた。

 昨年7月、日経新聞のスクープによって発覚したキリンホールディングス(以下キリン)とサントリーホールディングス(以下サントリー)の経営統合交渉だが、関係者から聞こえてくるのは、不穏な話ばかりだ。

 あるサントリーの現役幹部はこういう。

「向こう(キリン)が最初に投げてきたボールが、予想以上に低すぎた。交渉ごとだから、最初は低いところから始める、というのも分からないではないが・・・・・・」

 別のサントリーの役員は、知人に現在の交渉の様子をこう表現している。

「(交渉は)7合目で、ピッタリ止まった。そこからどうにもならない。今後? あまり楽観的にはならないですね。お互いの社風が違いすぎて、どうにも(難しい)」

 一方、深夜帰宅したキリンのある役員は、自宅前で本誌の取材に答えた。

「いまは、お互いに数字(互いの主張する統合比率)を出して、適正な評価をしている最中だということです。時期が延びている? 特に1月何日までと期限を区切ってやっていたわけではないですから」

 統合交渉について取材しているジャーナリストは、「昨年11月末、互いに統合比率の数字を出し合ってから、交渉がフリーズしてしまった。少なくとも1月下旬までは、交渉は進展していない」と証言する。

 当初昨年末までにと見られていた統合時期の発表は延び延びとなり、2月中旬以降にずれ込むのは確実。3月末に予定されているキリンの株主総会に間に合うのかさえ、微妙な情勢になってきた。

 サントリーの総帥・佐治信忠社長の東京・元麻布にある豪邸には、連日深夜各紙の記者が訪れているが、警備会社の車がピタリと横付けされ、佐治社長は記者の前に姿を見せようとしない。

 両社の合併交渉が明らかになった当時は、「勝ち組連合」と話題になった。

 キリン、サントリーともに'08年は最高益を記録し、業績は好調。得意とする事業分野も、「キリンラガー」「一番搾り」「のどごし<生>」などビール部門が強いキリンと、洋酒部門で長い伝統と大きなシェアを持ち、清涼飲料水分野にも強いサントリーは、絶妙の補完関係にあり、「結婚相手」として理想の組み合わせに思われた。

 両社の売上高('08年)は、キリンが2兆3000億円、サントリーが1兆5000億円。あわせて3兆8000億円もの巨大企業となり、世界5位の規模の食品メーカーに躍り出る。世界最大のビール市場・中国の攻略に向けて、両社の製品開発力、資本力を結集すれば、欧米メーカーに対抗できるというのが、もう一つの統合メリットだった。

「交渉は、キリンの加藤壹康(かずやす)、サントリーの佐治信忠両社長の“トップ会談”で始まった。業界団体の会合で顔を合わせた際、佐治社長のほうから声をかけ、'08年年明けに都内の日本料理店で昼食を共にしている。'08年中に何度か、会食し、'09年明けに佐治社長が経営統合を持ちかけた。

 加藤社長も結果的にゴーサインを出すのですが、それにはサントリー側の出した“条件”があったといいます」(全国紙経済部デスク)

 佐治社長のつけた条件の一つは、「サントリー」の社名を何らかの形で残すこと。そしてもう一つが、経営統合後もサントリーの大株主「寿不動産」の所有株の割合を3分の1以上に維持することだった。株式の3分の1を握る大株主は、経営の重要事項に対する拒否権を持ち、経営方針の決定に強い影響力を行使することができる。

「小が大を飲む謀略だ」と

 「寿不動産」とは非上場会社のサントリー株の大半を握る創業家・鳥井一族の資産管理会社である。この会社については後述するが、キリンの加藤社長は、2つの条件を飲んだという。交渉はこの条件を前提に始まった。少なくとも、サントリー側はそう信じていた。

 2条件にこだわる理由を、サントリー社員はこう話す。

「たとえば先日のハイチの大地震でも、ウチは赤十字を通じてすぐに1000万円の義援金を出しているんです。大阪でも養護老人ホームをやったり、学者に奨学金を出したりしている。創業者である鳥井信治郎の言う『利益三分主義』(利益の3分の1を社会貢献に使う)に基づくものですが、一定の株数を保持することで、新会社でもそういう良いDNAを維持したいと思っているんです」

 しかし、キリン側社員からは、この条件は「小が大を飲む謀略ではないか」と見えた。

「3分の1の株数を維持すれば、寿不動産が最大株主になり、もっとも強い発言権を持つ。キリン株は三菱グループで持ち合いをしていますが、自社株を合わせてもグループ全体で十数%に過ぎない。社内では、『加藤さんは佐治さんに騙されたんじゃないか』という声まで出た。大体、統合の話にしても情報が出ているのはサントリー側からばかりで、“既成事実”を積み上げている印象だ」

 キリンは三菱系の企業グループ「金曜会」メンバーで、かつて私大は早稲田、慶応出身者しか採用しなかったというほど、エリート志向の強い会社だった。「社風の違い」は、そのあたりからも来るのかもしれない。

 サントリー・佐治社長がキリンとの統合に強い意欲を持っていたのは、よく知られている。'02年に書き下ろし書籍のために受けたインタビューでは、

「5年以内に国内でM&Aを行使する可能性がある。その場合の対象はキリンビールとなるだろう」

 と語っている。「M&A」は「合併と買収」のこと。この発言を聞いたキリンの関係者は、「ウチを買収するということか」と不快感を隠さなかった。

 ともあれ、こうして始まった統合交渉は、はじめから波乱含みだった。

 サントリー側の統合チームは、青山繁弘副社長をトップとし、部長クラスを中心に15名前後。一方のキリンは、古元良治常務らのチームが窓口になった。

 統合に際して必要な双方の資産査定(デューデリジェンス)に当たったのは、サントリー側がゴールドマン・サックスの日本法人。キリンは、三菱系列の三菱UFJ証券と、モルガン・スタンレーを選定した。ビール事業の売り上げ、成長性、洋酒、清涼飲料水、食品など他事業、会社のブランド力など、あらゆる角度から会社の価値を数値化する作業が進められた。

「この作業を経て、双方が考える『統合比率』を互いに披露しあったのが、昨年11月末。その結果は、あまりに開きが大きいものでした」(前出・経済部デスク)

 両社の関係者によると、サントリー側の数字は「1(キリン)対0.9弱(サントリー)」だった。この比率なら、新会社における寿不動産=鳥井家の株保有率(支配権)は42.3%である。

 一方、キリン側が出した数字は「1対0.5強」。つまりサントリーの企業価値はキリンの半分ということである。この比率だと、寿不動産が新会社に占める株保有割合は29.8%となり、経営の重要事項に対する拒否権(3分の1)を失ってしまう。キリン側の数字を見て、鳥井家の一人は、

「話が違う―――」

 と声を震わせたという。鳥井家には、統合交渉に入る前の段階で、佐治社長から「3分の1は死守する。その約束は取り付けているから」という説明があり、納得して交渉に入ったという経緯があった。それが裏切られた、という思いがあったのだ。

サントリー株を支配する会社

 今回の統合交渉が難航している最大の理由は、非上場会社であるサントリーの資産査定の難しさにある。

 サントリーは大阪の両替商の子息として生まれた鳥井信治郎が明治32年(1899年)に創始した鳥井商店(のちの壽屋)が前身。早くからワイン、洋酒の調合、販売を手がけ、成功した。

 信治郎氏の息子たちのうち、長男の吉太郎は'40年に31歳で早世してしまう。

 家業を継いだのは次男・敬三、三男・道夫の二人だった。敬三氏は鳥井家の親戚である佐治家の養子になるが、早くから信治郎の片腕、壽屋の後継者として期待されていた。

 佐治敬三氏は'61年にサントリーの第2代社長の座に就いた。佐治社長の時代、サントリーの事業は大きく発展し、今日の礎を築いた。現在の佐治信忠社長は、この敬三氏の長男である。

 サントリーは、創業110年を超え、会社が大きく成長しても、同族経営を貫いてきた。現経営陣にも道夫氏(名誉会長)の息子・信吾氏(副社長)、娘婿・酒井朋久氏(取締役)、吉太郎氏の孫・信宏氏(取締役)が入っている。つまり初代の信治郎氏からみて、孫、ひ孫の世代が現在のサントリーを率いているのである。

 経営権を握るためには、過半数の株を保有することが第一条件だが、寿不動産がサントリーの株89.33%を持つ大株主で、この会社を通じて鳥井・佐治一族はサントリーの経営を支配してきた。

 さらにこの寿不動産の大株主を見ると、筆頭株主は財団法人サントリー文化財団(20万株、9.2%)、そしてそれと同数を持つのが、「鳥井春子」氏となっている。以下、10万8000株で佐治信忠夫妻、鳥井信吾氏、酒井朋久氏が並ぶ。

 鳥井・佐治一族はいまも強い繋がりを維持している。とくに創業者の信治郎氏が住んだ兵庫・川西市にある邸宅は、一族にとって大切な場所である。

巨額の相続税をどうするか

 いま、この邸宅を守るのが、一族の「ゴッドマザー」98歳の鳥井春子氏だ。彼女こそが今回のキリン・サントリー統合のキーマンなのである。

 春子氏は阪急グループ創始者・小林一三氏の令嬢で、信治郎氏の長男・吉太郎氏に嫁いだ。吉太郎氏が'40年に亡くなったあと、義父の信治郎氏と同居し、身の回りの世話をしながら二人の子どもを育ててきた。

 '62年に信治郎氏が亡くなり、子どもが独立したあとも、ひとり川西市の豪邸で暮らしてきた。'01年には、実父・一三氏が設立した宝塚歌劇団のイベントに出席したことが報じられた。

鳥井春子氏が暮らす兵庫・川西市の邸宅

 自宅近辺で、最近の春子氏の様子を聞いた。

「1年くらい前までは、お元気な姿を見かけました。ゴルフクラブを2~3本持っていたから、近くの打ちっ放しに行かれるところだったのではないでしょうか。近くの畑に野菜を収穫に行くところも見たことがあります。気取ったところのないごく普通のおばあちゃんですよ。髪を染めていて、道で会うと挨拶してくださいます。私の犬を見て、『あら、かわいい』と声をかけていただきました。

 ただ、最近入院されたという話を聞きましたが」

 春子氏邸の隣には、娘婿夫妻の家がある。ここのインターホンを押すと、

「おばあちゃんは出かけています。入院? はい、そうです。親がいないので詳しいことはわかりません」

 という返事だった。ごく普通の暮らしぶりのようだが、春子氏の持つ株の評価額は実に莫大だ。

 非上場会社の株価の算定方法は複雑だが、サントリーという巨大な会社を支配する寿不動産の場合、一株あたりの価値は10万円前後となるという(税理士・北田朝雪氏の試算による)。つまり春子氏の所有株の価値は、200億円以上と見積もられるのである。

 98歳の春子氏の資産は近い将来相続されることになるだろうが、誰が相続するにせよ、莫大な相続税を払う必要がある。払えなければ、徐々に株は一族から流出していき、いつか鳥井家はサントリーの支配権を失うほかない。寿不動産株を一族で守ってきた鳥井家にとって、今後巨額の相続税をどうするかが、大きな問題になるのである。

「非上場会社にとって、相続税をどうするかというのは、難しい課題なんです。松下幸之助さんが亡くなったとき、1000億円といわれた相続税のほとんどを松下電器株の物納で納めた。問題は、サントリーの株は非上場なので、現状のままでは国税に受け取ってもらえない。そうなると、株の散逸を防ぐためにはどうやって現金を用意するかが問題になる。いくら鳥井家といえども数十億の現金を用意するのは楽ではないでしょう。

 サントリーとしては、この相続税の問題が、今回の統合を持ち出す理由の一つになっているのかもしれません」(日本M&Aセンター・分林保弘会長)

 キリンと経営統合し、一族の株を新会社グループに引き取ってもらえば、相続税問題を解決できる。それだけの資金力があり、同業で、しかも鳥井家に対抗できる大株主がいない会社―――「結婚相手」はキリンのほかなかった。

 サントリー・佐治社長が打った「経営統合」という一手は、まるで王手飛車取りのような妙手だった。はたしてそれが、思惑通りいくのか―――交渉はいま、胸突き八丁にある。