伊藤 博敏伊藤博敏「ニュースの深層」

2010年11月25日(木) 伊藤 博敏

山口組No.2高山清司若頭逮捕の背景は、「京都利権」をめぐる壮絶な争い!

「これからもよろしく頼む」

 2005年10月下旬、山口組No.2の高山清司若頭(63)は、京都の有力者である建設会社代表と京都市内の著名料亭で会食、こう声をかけたという。

 同席したのは、高山義友希・淡海一家総長(53)。その後、同総長は、「名古屋の頭に届けるから」などと、山口組No.2の権勢を利用して被害男性から4000万円を恐喝したとして、京都府警は11月18日、高山若頭を恐喝容疑で逮捕した。

 普通に考えれば、「よろしく頼む」が恐喝を意味しない。高山義友希総長が、4000万円を受け取ったのは事実だろうが、それを若頭の高山容疑者に届けたかどうかは不明。「両高山」が、京都府警のシナリオを認めるとも思えない。

 しかし、「両高山」が広域暴力団組長という「反社」の中核であること、安藤隆春・警察庁長官が、「弘道会撲滅」を指示、その国策に従った捜査であること、No.2の逮捕にあたり京都府警は半年以上の時間をかけて慎重に捜査、起訴と公判に耐えうる材料を集めて絶対の自信を持っている。05年12月の司忍・山口組6代目の収監(銃刀法違反罪)以降、日本の暴力団のトップに立っていた高山若頭が、今後、被告となり、長い拘置生活を送ることになるのは避けられない。

 一言でいえば、今回の事件は、「京都利権」をめぐる山口組内部の抗争である。

 高山義友希総長は、京都の裏社会を仕切った4代目会津小鉄の高山登久太郎会長の長男である。大学を卒業後、堅気として建設、金融業を営んでいたが、97年2月、登久太郎会長が引退、その"威光"に頼っていた面もあって、地元の実力者とギクシャクすることが多くなる。意を決して、03年、名古屋の弘道会に飛び込んで舎弟となり、滋賀県大津市に淡海一家を立ち上げた。

 

 当時、京都は政界を野中広務自民党元幹事長が押さえ、京セラ、ワコールなどの「京都企業」が経済界を仕切っていた。そして裏経済を握っていたのは5代目会津小鉄会の図越利次会長だった。慶応4年に初代の上坂仙吉が一家を構えたという名門だが、広域暴力団の指定を受けているとはいえ構成員は1000人足らずである。

 にもかかわらず、それなりの存在感を発揮できたのは、京都の「閉鎖性」に加えて、山口組と友好関係にあったためだろう。02年2月、図越理事長(当時)は山口組の桑田兼吉若頭補佐(山健組3代目)、共政会の沖本勲会長と三兄弟盃を執り行っている。

 桑田会長の時代、山健組は「ヤマケンにあらずば山口組にあらず」とまでいわれるほどの権勢を誇り、構成員は7000名を数えたが、05年8月、6代目山口組となって司組長、高山若頭の名古屋体制が確立すると旗色は悪くなる。

 跡目を継いだのは井上邦雄会長。「人柄はいいが決断力に欠ける」(山口組関係者)という井上評がすべてを物語っており、抜群の統率力で引っ張る高山若頭の前では影が薄く、高山若頭が会長を務める弘道会の伸張を許してきた。

 京都はその典型である。

6代目出所に備えた「分断工作」

 高山義友希総長に恐喝を受けていた建設会社代表は、同和の活動家としても知られており、野中広務氏とのパイプは太く、行政に強いのはもちろん、山健組や会津小鉄にもそれなりの人脈はあった。

「滋賀県でも仕事をしませんか」

 捜査関係者によれば、建設会社代表が高山総長にこう声をかけられたのが05年3月頃で、その誘いは「みかじめ料」の要求に変わり、冒頭の料亭での会食となる。それは、弘道会をバックにするように、という誘いであり、高山若頭が京都に打った淡海一家という布石が動き出した瞬間だった。

 

 安藤警察庁長官は、昨年9月、弘道会の集中排除を指示、以降の1年強で、弘道会幹部50名弱が逮捕され、周辺者まで合わせると逮捕者は1000名を超える。まさに「立ち小便でも逮捕する」という状況だが、今回は、狙いの「高山清司逮捕」だけに、相当、慎重に捜査を進めた。

 まず、恐喝行為があったことを突き止めた京都府警は、昨年10月、建設会社代表に告訴状を提出させて、高山総長らの逮捕状を取った。しかし察知されて逃亡を許し、高山総長を配下とともに和歌山県内の旅館で逮捕したのは今年4月24日である。それから7か月後の高山若頭の逮捕は、恐喝事件としての証拠を固めるとともに、余罪や別件も含めて捜査していたためだという。

 現段階で、事件が縦横に伸びるかどうかを判断するのは難しい。ただ、捜査関係者は「最低限の目標はクリアした」と、率直にいう。

「山口組6代目の司が、来年4月に出所する。それまでに高山を逮捕、名古屋を分断するのが狙いだった。名古屋のトップ二人体制が確立すれば、弘道会はとてつもない勢力となることが予測され、それは許してはならなかった。恐喝をしっかりと固め、3年でも5年でも高山を外に出さないことが肝腎だ」

 実際、直参の組長を月曜日から金曜日まで神戸の本部に張り付け、勝手な行動を許さないなど、高山若頭の統率力には非凡なものがあったという。それを象徴するように、高山逮捕後に、取って代わる野心を持つような幹部がいない。

 だから山口組に動揺は見られず、大阪、中部、関東などのブロックを受け持つ若頭補佐らの集団指導体制に移行、司組長の"復帰"を待つことになろう。

 警察当局は「名古屋分断」の目標を果たせた。だが、山口組総体に打撃を与えたことにはならず、例えば京都では元の利権が復活しよう。構造を変えるのは容易ではない。