伊藤 博敏伊藤博敏「ニュースの深層」

2010年11月18日(木) 伊藤 博敏

武富士「突然の倒産」は「1330億円追徴見直し」への"布石"だったのか
「節税工作」裁判に激震

 史上最大の「節税工作」が認められようとしている。

 現在、最高裁第2小法廷は、消費者金融最大手の武富士(会社更生手続き中)の創業者一家が行った生前贈与について審議しているが、来年1月12日を弁論期日に定めた。

 最高裁の弁論は、2審の判断を見直す場合に開く。期日が決まったことで、個人としては過去最高の1330億円の追徴処分が、見直される可能性が高くなった。

 東京国税局は、武井保雄元会長夫妻が、99年末、香港在住の長男・俊樹氏に対して行った海外での生前贈与を「課税逃れが目的」と判断、1600億円を申告漏れと指摘、約1330億円を追徴課税した。

 これを不満とした俊樹氏が提訴、2007年5月、一審の東京地裁が「香港在住の実態があった」として俊樹氏勝訴の判決を下し、これに対して、08年1月、二審の東京高裁は「生活の拠点は日本にあった」として、俊樹氏側の逆転敗訴を言い渡し、俊樹氏側が上告していた。

 当時の税法では、相続人を海外に住まわせ、資産をいったん海外に移したうえで、資産を贈与するのは合法だった。それを国税は、「半分以上、海外に滞在する非居住者になっても、生活実態が日本にあれば課税は可能」という"新解釈"で課税処分にした。

 「後出しじゃんけんはズルい」と、この節税を"奨励"していた外資系金融機関や会計士などは不満を述べたが、俊樹氏の逆転敗訴で「日本は裁量課税の国。さじ加減で課税するので節税は、勧められない」と、諦めムードが広がった。

 それが最高裁でひっくり返ると、課税は法律上の根拠がなければ行ってはならないという「租税法律主義」が改めて見直され、国税は「裁量課税」という便利な道具を失うことになる。

 ともあれ9月末の倒産によって、武井ファミリーは資産の大半である武富士株を"紙屑"にする可能性が高くなったわけだが、それと"見合い"のような形で国に"没収"されていた巨額資産を取り戻す。

 双方が、水面下でつながっていると証言する武富士関係者がいる。

「武富士の倒産は突然死に近く、直前まで清川昭社長(倒産後に退任)とファミリーの健晃副社長(同)以外は、誰も知らされていなかった。新規貸し出しはせず、回収に専念していたからキャッシュフローは潤沢で、破たんにはほど遠い状況。倒産は、すべてを失ったことにして最高裁の"同情"を買おうとしたファミリーと弁護士の作戦だった」

 それで裁判所の同情が買えるかどうかは別問題。ただ、現在は回っているキャッシュフローも、営業債権が底をつき、「最大で2兆円」と言われている過払い請求が止むことなく続けば、いずれ倒産は免れない。

 弁論期日の指定が入るということは、その前段階で最高裁から弁護士への接触があるわけで、発行済み株式の約25%を握る健晃副社長、俊樹元専務、2人の母の博子夫人の武井ファミリーが、弁護士と相談の上、余力があるうちに倒産して再建に備えるとともに、最高裁に「裸一貫で出直す覚悟を示していい判決をもらう」という作戦に出てもおかしくはない。

 確かに、数字は倒産を意味しない。

 武富士の負債総額は、今年6月末時点で4336億円。もっとも大きな負債は過払い金返還の未払い分で約1700億円。次に社債が926億円、営業債権を証券化して譲渡担保に入れた借入残が約300億円である。銀行借り入れは5億円に満たなかった。

 これに対して6月末時点での営業債権は5101億円。回収に専念して年間約1000億円のキャッシュフローを見込み、手持ち不動産を売却、不良債権化した営業債権を次々に処理、来年4月の550億円の社債償還までに、スポンサーをみつけるなど、解決の道は残されていた。

 それを選択せず、会社更生法に駆け込んだのは、1330億円という"実利"を得られる可能性が出てきたからだろう。

税理士、会計士らが練りに練った合法的スキーム

 実際、一審で俊樹氏の主張が認められたように、武井保雄氏が、出入りの会計士、税理士、金融ブローカーなどを総動員、練りに練った合法的スキームだった。

 まず最初、俊樹氏が97年2月、香港に住民票を移した。次に武井夫妻が、97年12月、オランダに投資会社を設立、99年3月、ここに武富士株1569万株を譲渡した。そのうえで、99年12月、武井夫妻はオランダの会社の株の9割(武富士株を中心に時価総額約1600億円)を香港の俊樹氏に譲渡したのだった。

 香港には贈与税や相続税はない。したがってオランダから香港の「外―外」の譲渡は、「無申告でいい」という判断を武井ファミリーはとった。当時、資産家の間でこのスキームは広く使われており、1600億円は法外にしても、多くの事例があった。

 しかし国税は、「どこからも課税されないスキームを認めるわけにはいかない」という観点から課税、全面戦争に突入した。

 「サラ金」という業態を世に普及させ、武富士を一部上場企業に育てた武井保雄氏は、カネへの執着が抜きんでた「ザ・カネ貸し」で、その執念が国税との10年戦争につながる「贈与」を生んだ。

 その"思い"が乗り移ったように武井ファミリーは、最高裁での有利な戦いのために犠牲(武富士倒産)を厭わなかった。そこに、06年に76歳で亡くなった武井保雄氏の凄まじき生き方を、改めて感じるのである。