現代ノンフィクション
2016年03月26日(土)

震災遺族に背を向ける名取市への不信感~果たしてこれは、誰のための「復興」なのか?

東北の5年を歩く【第3回】

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震災発生から1ヵ月後の閖上地区の様子(2011年4月18日撮影)

取材・文/西岡研介

第2回【「避難指示」が解除された楢葉町

5度目の「あの日」を迎えた閖上地区

震災発生からちょうど5年となる3月11日、宮城県名取市の「愛島東部仮設住宅」には兵庫県から41人のボランティアが訪れ、神戸から持参した300本の竹灯籠を並べて、祈りの場を設けた。同仮設には、津波で大きな被害を受けた同市閖上の住民が今も、避難生活を余儀なくされている。

名取市によると、閖上地区の死者・行方不明者は701人と、同市全体の犠牲者(884人)の約8割を占める。特に閖上2丁目の被害は大きく、住民の4人に1人が犠牲になった。

閖上浜ではこの日も、仙台高専の園田潤教授と学生たち、そして13年から閖上地区での行方不明者の捜索を続けている支援団体「STEP」のメンバーらボランティア約50人が、地中レーダーなどを使い、一つでも手がかりを見つけようと捜索を続けていた。

一方、津波に破壊された「貞山堀」の東に位置する築山「日和山」の頂上には、多くの人々が集まって祈りを捧げ、かさ上げ工事が進む旧住宅地では、閖上に津波が到達したとされる午後3時53分を自宅跡で迎える震災遺族、行方不明者家族らの姿があった。

集まった人たちがそれぞれの思いを抱え、震災から5度目の「あの日」を静かに迎えた閖上地区。だが、名取市では未だに同地区の住民を中心に、市当局の防災に対する姿勢が厳しく問われ続けている。

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