現代ノンフィクション
2016年03月19日(土) 西岡 研介

「避難指示」が解除された楢葉町のいま~行政の描く「復興」は住民の思いを反映しているか?

東北の5年を歩く【第2回】

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震災から5年。楢葉町ではようやく津波被災者のための災害公営住宅の建設が始まった

取材・文/西岡研介

第1回【被災地で増える「孤独死」

避難指示が解除された町

「『5年』って言ってもなぁ。震災から1、2週間はうんと長く感じたけども、過ぎたらあっという間だったような気もするし……。けど、年寄りにとっては長過ぎたよ。故郷(ふるさと)に帰りたくて、帰りたくてしょうがなかったのに、亡ぐなった人、いっぱいいっから」

東日本大震災発生当時は、福島県双葉郡楢葉町の町会議員で、震災後は避難先のいわき市勿来町で「そばの駅楢葉九面(ここづら)」を営む松本喜一氏(69歳)はこう語った。

5年前の3月11日、海沿いの山田浜地区にあった松本氏の自宅は津波で全壊した。翌12日には、自宅から19キロ北の東京電力福島第一原発が爆発事故を起こし、町民とともにいわき市内に避難。そのままいわきに居を移した。

原発事故発生から4ヵ月後の2011年7月から私は、当時の「警戒区域」内に入り、楢葉町をはじめ、富岡町や浪江町など双葉郡の取材をしていたのだが、その時に「案内人」を務めてくれたのが松本氏だった。

以降、この5年間、時間を見つけては、松本氏のもとを訪れ、話を伺ってきたが、彼をはじめ楢葉町民、さらには双葉郡内の住民の大部分の生活基盤がいわき市に移ったこともあって、年が経つにつれ、いわき市内での取材が多くなった。

「久しぶりに、楢葉、回りますか」という松本氏のありがたい申し出を受け、3月7日、私は楢葉町下小塙(しもこばな)にあるコンビニエンスストアの駐車場で、彼の到着を待った。

私が松本氏の案内で楢葉町を回るのは、13年8月に彼が同町の天神岬で行った「慰霊祭」に列席して以来、約2年半ぶり。そして昨年9月に政府が、同町の避難指示を解除して以降、初めてのことだった。

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