現代ノンフィクション
2016年03月11日(金) 寺島英弥

【ルポ】石巻と南相馬、被災地でいまなお続く「風評」との闘い

upperline
震災後初の水揚げ。直径10センチほどの丸々としたホヤがこぼれる=2014年6月

写真・文/寺島英弥(河北新報編集委員)

「蒸しホヤ」は風評・風化の突破口となるか

宮城県石巻市の牡鹿半島の先端、鮫浦(さめのうら)の漁師、阿部誠二さん(32)を初めて取材したのは2014年6月下旬だった。

三陸海岸の南端にある鮫浦湾は、珍味として知られるホヤ(海鞘)の希少な天然種苗の採取地で、昔からホヤ養殖は漁業者たちの生業の柱だった。その朝、11年3月11日の大津波で湾内の集落が壊滅し、養殖施設も全滅して以来、ホヤ復活を懸けた初水揚げがあった。

赤茶色の丸々とした塊が海から次々に揚げられた。船上でロープを引っぱる誠二さん、二人三脚の父忠雄さん(65)の顔がほころんだ。殻にナイフを入れると、黄色いとろりとした身が現れる。ほおばると、微妙なえぐみが甘さに変わり、深い味わいは健在だった。

湾内の養殖棚から船で10分ほどの鮫浦漁港は、入り口の防波堤が破壊されたままで、しけのたび荒波が流れ込む。1メートル余りも地盤沈下した岸壁は応急補修のまま状態で、阿部さん親子の漁船の一隻も大しけで流され、壊れた。

28戸あった鮫浦集落は跡形もなく、阿部さんの一家は自宅跡に作業テントを建て、車で約10分の仮設住宅から通っていた。

ホヤの養殖では、種付けの受け皿となる大量のカキ殻を数珠のように結んで海に垂らす。11年秋から山梨県の社団法人「REviveJapan」などのボランティアが遠路通い、がれき片付けとともにカキ殻を拾い集め、以来、一番手間の掛かる作業を毎年続けてくれている。

同じ養殖ものでもカキ、帆立は1~2年で出荷できるが、ホヤの成長は3~4年を要する。その間はヒラメやタラを捕って収入をつなぐほかなかったが、その漁に使う船を流された阿部さん一家は耐乏を強いられた。

3年を経て復活したホヤは震災前の半分程度の量だったが、大きく育ち、初水揚げの喜びは大きかった。が、復旧の遅れた漁港の風景と同様の大きな問題が、前途に横たわっていた。

1
nextpage



underline
アクセスランキング
1時間
24時間
編集部お薦め記事
最新記事