田原総一朗「戦後レジームの正体」

田原総一朗が斬る!
小選挙区制は、日本の政治にとって本当に良かったのか? 

「戦後レジームの正体」第10回(後編)

2016年03月06日(日) 田原 総一朗
upperline
〔photo〕gettyimages

1993年5月31日、田原総一朗氏はテレビ朝日のスタッフと一緒に首相官邸に行った。政治改革の渦中で苦悩する宮澤喜一首相にインタビューするためだ。そして、このインタビューでの発言が、首相の不信任決議へとつながっていくことになった。

←前編はこちらから

潰えた政治改革

宮澤喜一首相へのインタビューの第一コーナーはPKO(国連平和維持活動)問題だった。

もしも2ヵ月前にインタビューが成立していたら、この問題が中心テーマになっていたはずである。もし、そうであれば、事態は相当変わり、宮澤内閣は安泰だったかもしれない。だが、交渉が難航し、皮肉なことにPKO問題は決着していた。だから、軽く、いわばおさらいをしただけであった。

第二コーナーが政治改革問題。もちろん、この日のインタビューの中心テーマだった。

私は問うた。

「問題の政治改革、選挙制度の改革ですが、たぶん、この番組を見ている日本中の人が、宮澤さんの言葉と表情を、宮澤さんは本当にやる気かどうか、それこそ凝視していると思います。おやりになるのですか」

「お聞きにならなくてもわかっていることでね。政治改革は、どうしてもこの国会でやらなければならないんです」

「おやりになる?」

「やるんです。というのは、これほどの国民の政治不信というのは、もちろん私は自分の政治生活で経験したことがないし、ちょうどこの総理官邸で犬養(毅)さんが撃たれて亡くなったんですね(※筆者注 五・一五事件、1932年)、60年ちょっとになりますか。あのときの政治不信というのをよく覚えています。

とにかく政治が変わらなきゃ、政治を変えなきゃ、国民の政治不信というのは、どうしようもないところに来ている。ですから、どうしても、この国会でやってしまわなければならない」

「絶対にやる?」

「ここで政治改革をしなければ、日本の民主主義というのは大変な危険に陥ります」

「くどいようだが、本当に、この国会で、政治改革、できますか。残りの日数もあまりないようだし?」

「私が、責任を持ってやるんですから」

「もしできなければ、首相を辞める?」

「いや、だってやるんですから。私は噓はついたことがない」

宮澤首相は、何度も「責任を持ってやる」「絶対やる」と力強く繰り返した。

だが、結局、政治改革はできずじまいで不信任案が成立してしまう羽目となった。

1
nextpage



underline
アクセスランキング
1時間
24時間
編集部お薦め記事
最新記事