田原総一朗「戦後レジームの正体」

なぜ日本の「政治改革」は頓挫したか? 自民党政治、終焉の始まり

「戦後レジームの正体」第10回(前編)

2016年03月06日(日) 田原 総一朗
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宮澤喜一元首相(首相在任1991-93)〔photo〕gettyimages

 

政権交代が容易になる政治改革

1988年5月、日本生産性本部の「別動隊」である社会経済国民会議が、国会制度、選挙制度、政治資金、政治倫理などを包括する「議会政治への提言」をまとめた。

中心となったのは住友電気工業会長の亀井正夫であった。亀井はかつての第二次臨時行政調査会の専門委員でもあり、政権交代が可能になる抜本的な政治改革の断行を強く求めたのである。

派閥の解消を目指す党近代化論がすっかり後退して、派閥や個人後援会が公然と容認され、利益誘導政治が定着して、金権政治が横行し、「討論の府」であるべき国会が「なれ合い政治」の場と化してしまっている。国民は政治に不信感、いや絶望感を抱いているが、このような状況になった最大の原因は、自民党長期政権であり政権交代の欠如である、とこの提言は強調していた。

そして、政権交代を可能にするために中選挙区制に代わる選挙制度として、小選挙区制ではなく、比例代表制の導入を主張したのである。

今回は、従来のように自民党の結束の強化、あるいは近代化のためではなく、自民党政権を続かせない、政権交代を可能にするための比例代表制の導入という考え方であった。

そして、亀井たちの主張に同調する財界人、学者、そして政治家も少なくなかったが、与野党の反対が強く、今回も現実の政治を変える引き金にはならないはずであった。

竹下内閣を崩壊させたリクルート事件

ところが、自民党に致命打を与える事件が起きた。リクルート事件である。

1988年6月18日、朝日新聞が「川崎市の実力者、助役・小松秀煕がリクルートコスモスの非公開株約3000株を譲渡されて、約1億2000万円の利益を得ていた」と報じた。これが竹下登内閣を崩壊させたリクルート事件の発端であった。

その後、森喜朗元文相、渡辺美智雄政調会長、加藤六月前農水相、加藤紘一元防衛庁長官、さらに中曽根康弘前首相、安倍晋太郎幹事長、宮澤喜一蔵相、藤波孝生元官房長官などの名前が次々に挙がり、野党幹部、官僚トップ、NTT幹部などの夥しい名前が並んで、ついに竹下首相の「金庫番」青木伊平の名義でリクルートから5000万円借り入れていたことが判明して竹下首相は辞任を表明し、青木伊平が自殺した。

自民党にとっては、ロッキード事件以上の大疑獄事件で、ニューリーダー、ネオニューリーダー、そして派閥の領袖たちは全滅状態となり、竹下首相の後継者が事実上不在となってしまった。

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