日本一の書評
2016年01月31日(日)

映画と原作、どちらがお好き?
原作偏重主義を乗り越えることはできるか

リレー読書日記・中島丈博

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1月7日の東京新聞夕刊の大波小波欄に「小説が映画となり話題を呼ぶ。最近では西村賢太が映画『苦役列車』に毒づいたことは記憶に新しい」と書かれてあった。

脚本家にとっては気にかかる一文だ。何故かというに、昨今は原作偏重主義のもたらす弊害が顕著となり、原作者から「脚本が原作通りでないから、映像化は許さない」と土壇場でイチャモンを付けられ、映画化やドラマ化が不能になるケースが屡々発生しているからである。

あるいはシナリオのセリフの一字一句を原作通りに直させる作者もいて、脚本家の現場は混乱している。

そのような状況を鑑み、日本脚本家連盟では本年3月には『脚本が危ない』の些かシニカルで自虐的なタイトルのもと、『原作と脚本の幸せな関係とは?』との副題を添えてシンポジウムを催すことにしている。

今回、本書『苦役列車』を再読し、底辺をのたうち廻りながら生きる主人公の露悪的なまでの厳しい赤裸々感に改めて圧倒された。続いて映画『苦役列車』のDVDを取り寄せて観たのだけれども、決して原作の精神を損壊しているものとは思われない。

それどころかフィルムからは森山未來の好演もあって淫水まみれの八つ当たり的若者の体臭が芬々と匂ってくるようで、評価されるべき特異な青春映画に仕上がっている。

原作にはない人物として前田敦子扮する古書店に勤める女が登場して、主人公は一方的に彼女に惚れて最後には見事に振られ、以前付き合っていた寿美代という女と偶然再会して、ハチャメチャな一夜を過ごすという展開はあるけれども、サブストーリィとして独立しているわけではなく、飽くまでも主人公側の視野を通して描かれており、原作の私小説的文脈は遵守されている。

一本の劇場映画を構成するには、本書の登場人物だけでは到底事足りず、主人公の現在を写し出すためにもこの人物設定は極めて妥当だと思われる。西村賢太氏は自作映画化作品のどの部分がどう気に入らずに毒づいたのであるのか。

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