わき道をゆく~魚住昭の誌上デモ
2016年01月31日(日) 魚住 昭

「軍国主義」の原型はこうして作られた
~山県有朋という“絶対的権力者”誕生の瞬間

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日清戦争〔PHOTO〕gettyimages

正月から物騒なニュースが相次いでいる。北朝鮮が「水爆」実験に踏み切り、中東ではイランとサウジアラビアが国交を断絶した。南シナ海では、中国が人工島に作った滑走路を使っての試験飛行を強行した。

この先、何が起きるかわからない。だから改憲で強い日本を取り戻さなければならぬ―というふうに世論は動きつつあるようだが、ちょっと待ってほしい。

それだと、いつか来た道を歩むことになりはしないだろうか。明治から昭和にかけての軍国日本の過ちを繰り返さぬことが私たちの課題ではなかったのか。

明治10(1877)年代の東アジア情勢は今よりもっときな臭かった。不凍港を求めて南下するロシアの脅威が迫り、朝鮮半島情勢も緊迫していた。

そればかりか明治17年、英独両国が東部ニューギニアを領有した。翌18年、ドイツはマーシャル諸島に進出、フランスは台湾海峡の澎湖島を占拠し、英国はビルマに侵攻した。東アジアは、西欧列強の植民地主義の攻勢にさらされていた。

では、そんな情勢に日本はどう対応したか。大江志乃夫さんの名著『日本の参謀本部』(中公新書)に拠りながら、陸軍の動きを追ってみよう。

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