日本一の書評
2016年01月23日(土)

歴史の中に見る日本人の「精神」と「美」

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[Photo:iStock]

 

―『日本精神史』では、縄文時代から江戸時代後期までの日本の歴史を、「精神」という視点からまとめあげています。上下巻、2000枚を超える大著ですが、取り上げられるのは教科書に載っているような建築物や美術品、文学作品がほとんど。歴史に詳しくなくとも、すんなりと頭に入ってきます。

執筆にとりかかったのが'00年頃でしたから、十余年をかけたことになります。それだけの年月が必要だったのは、史料を調べ、思索を重ねたのはもちろんですが、実際に史跡に足を運び、作品を観て回ったからです。

たとえば第一章の三内丸山遺跡。青森県で復元された、15mの高さで聳える六本柱の巨大建築を実際に見上げると、ただの建築物を超えた何かを感じさせます。思想や文学を論じるだけでなく、作品そのものを超越した「何か」に直に触れてこそ、日本人の精神を語ることができるのではないかと考えたのです。

各地を旅したのは本当に楽しい時間でしたし、本書に紀行文の軽やかさを与えてくれたかもしれません。

自然への祈りが込められた土偶の造形や、祭祀のため装飾を極めた銅鐸は、「超越」を象徴していますね。古墳について「観念的迷妄」と評されていたのも印象的でした。

一人の人間を埋葬するのに数千人、数万人の労働力を動員し、数年をかけて巨大な墓を造営する。常軌を逸した事業だとつくづく思わされますが、その威容に、4~5世紀の大和国家を支えた、共同幻想がうかがえます。

私の専門は西洋哲学ですから、「観念的迷妄」といった歴史家が使わない言葉を時に用いてはいる。ただ、ヨーロッパ精神史の話を持ち出すことは避けました。持ち出さなくても、遜色なく日本の精神史を刻めると考えたのです。

上巻中盤からは、仏教が大きなテーマです。

海を渡ってもたらされたとはいえ、仏教と日本人の精神の親和性はやはり高かったのだと、あらためて認識しました。

私が学習塾を始めた45年前から毎年、奈良や京都を訪れ、時には生徒を連れ、仏像や寺院を見て回りました。興福寺阿修羅像の見飽きない美しさ、悟りの境地にあるような鑑真像の精神性、運慶の作品の力強さ。眺めるだけで幸せなのですが、それを言葉にしたかった。

本書を読んで、「長谷川がそういっているなら見てみよう」と、寺院を訪れた知人もいます。思想や文学も、私が現代語訳しながら、多数紹介していますが、これを機会に原物・原典に触れてもらえると嬉しいですね。

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