北京のランダム・ウォーカー

金正恩の横暴に激怒!習近平が画策する「北朝鮮生け贄計画」

2016年01月11日(月) 近藤 大介
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〔PHOTO〕gettyimages

「あの三胖めが・・・」

1月6日午前11時前、同行中の栗戦書党中央弁公室主任から「北朝鮮で起こった緊急事態」の報告を受けた習近平主席は、思わずこう呟いた。

「三胖」(サンパン)とは、「三代目のデブ」という意味で、中国の共産党・政府幹部たちの間で、金正恩第一書記を指す隠語になっている。以前は、「金三胖」(ジンサンパン=金ファミリーの三代目のデブ)だったが、昨年頃からなぜか頭の一字が抜け落ちた。

この時、習近平主席は、中国西南部の中央直轄地で、中国最大3000万人の大都市、重慶市を2泊3日で視察中だった。PM2.5地獄の首都・北京を抜け出して、心地よい気持ちで重慶に来たつもりだった。

ところが、視察初日の1月4日に北京からもたらされた「緊急消息」は、大発会の日にいきなり上海総合指数が7%暴落し、今年から始めた新規定によって上海市場を閉鎖したというものだった。そして北京へ戻るこの日は、北朝鮮の突然の水爆実験の消息である。習主席が思わず毒づいたのも無理はなかった。

習近平主席が重慶を視察した理由

本論の中朝関係、そして「北朝鮮生け贄論」については後段でふれるが、習近平と重慶についても重要なところなので、述べておきたい。習近平主席が、第19回中国共産党大会まで2年を切った2016年の新年、最初に重慶を視察したのは、主に3つの理由があった。 

第一に、この中国最大の都市が、「薄煕来の地盤」から「習近平の地盤」に移り変わったことを自らの眼で確認するためだ。習近平主席が重慶を訪れたのは、2010年12月以来、約5年ぶりで、当時は習近平の兄貴分で、「重慶の毛沢東」こと薄煕来党委書記の天下だった。

その時、兄弟同様に育った二人の「太子党ホープ」は、大ゲンカをして袂を分かった。当時、2年後の「ポスト胡錦濤」に内々定していた習近平副主席は、薄煕来重慶市党委書記に、2年後の北京市党委書記のポストを打診した。「自分が国家を治め、薄兄貴が首都を治め、二人三脚で次代を担っていこう」と持ちかけたのだ。

それに対して薄煕来は、「オレはこれ以上、地方政治家なんか真っ平ご免だ。お前が『ポスト胡錦濤』をオレに譲れ」の一点張り。この時の「決裂」が、2012年に起こった「薄煕来事件」の遠因となった。

第二に、地方経済の崩壊が叫ばれて久しいが、重慶は2014年のGDPが10.9%、2015年が約11%(予定)と、他の地域に較べて突出した経済成長を続けていたからである(数値の操作があるという説もある)。そのため、全国に「模範都市」として喧伝しようとしたのだ。

第三は、おそらくこれが習近平主席の心中、最も大事な「作業」だったと私は推察しているが、現在の重慶市党委書記(市トップ)である孫政才の「人品」を見極めることである。

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