読書人の雑誌『本』より
2016年01月03日(日) 橋本治

浦島太郎の「真実」
〜乙姫は出てこない、あの美女は亀が化けたものだった!

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〔photo〕iStock

文/橋本治(作家)

浦島太郎の真実

『群像』誌から『御伽草子』の特集をするので、『御伽草子』にインスパイアされた作品をなにか書いてほしいと言われた。

『御伽草子』に想を得たものは、太宰治作で有名な『お伽草紙』をはじめとしていくつもある(だろう)。ただまァ私としては、『御伽草子』を題材にして現代を諷刺するような作品を書いてもおもしろくなかろうと思っていて、今もまだ思っている。

そう思うのは、室町時代から江戸時代の初めにかけて出来上がった『御伽草子』自体が、「こんな話の進め方がよくも平気で出来るよなァ」と思われるメチャクチャさに満ちているからだ。

たとえば、「浦島太郎」に乙姫様は出て来ない。浦島太郎が玉手箱を開けても、ジーさんにはならない。

浦島太郎に釣り上げられ、獲物にもならないと思われて海へ返された亀が、恩返しのため――というか、浦島太郎に惚れてしまった結果、美女に化けて浦島太郎のところへやって来る。その亀が、自分の住む龍宮城へ浦島太郎を連れて行く口説きのテクニックが、とても今風でおもしろい。

勝手に舟に乗って、流されて来たように装って、「私一人じゃ帰れないから、この舟漕いで送って来て」と迫る。自分を弱いもののように装って男に迫るというのは、古典としてはとても新鮮で、リアルに「今感」がある。

浦島太郎が「ちょっと家に帰りたい」と言って玉手箱を渡されるのは知られる通りだが、浦島太郎はその箱を開けるとジーさんにではなく、鶴になってしまう。「鶴は千年、亀は万年」だから、万年の寿命を持つ亀は、愛する浦島太郎を千年の寿命を持つ鶴に変えて、ずっと一緒にいたかったらしいが、ということになると、亀は鶴が死んだ後の九千年も一人で生きなければならなくなる。

「どうすんだろ? 千年ごとに新しい浦島太郎を探すんだろうか?」と思って、「そうか、万年だとすると、その亀は今もまだ生きて、どこかの浜辺でいい男が来るのを虎視眈々と待ち続けているのか」ということになってしまう。

下手に「浦島太郎」を現代化するより、原典そのものを甦らせてしまった方がおもしろい。(「浦島太郎」を題材にする作品は他の人が書くというので、私はやめてしまったが)

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