わき道をゆく~魚住昭の誌上デモ
2015年12月06日(日) 魚住 昭

「南京大虐殺」が狂わせた人生
~日本兵が犯した「生肉の徴発」の罪はまだ消えない

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父はすでに「死んでいた」

辺見庸さんは、私の共同通信時代の5期上の先輩だ。在籍中に言葉を交わしたことは一度もない。何しろ相手は世界に名を知られた元北京特派員で、しかも芥川賞作家である。気安く話しかけられる相手ではない。

その辺見さんが『1★9★3★7』(金曜日刊)を書きながら〈ときどき吐いた。すこし泣いた。絶句し、また吐いた。そうしながら、じぶんがなにも知らないこと、さっぱり知らなかったこと、でも、知ろうとしないでここまできてしまったことを、いたく知らされた。うちのめされてまた吐いた〉という。

そんなにしんどい思いをしてまで辺見さんは1937年の南京大虐殺になぜこだわるのか。その理由は、彼の生い立ちと深く結びついているようだ。

彼の父は華中(中国中部)に3年余り出征した。帰国して石巻新聞の記者になった。復員後の父の像は、溶けかかった鉛の立像のように、輪郭のゆらぐ、いつまでも不可解な影であった―と辺見さんは書いている。

父は無口で不気味で、時々ぞっとするほど優しく、ふとどこか遠くを眺めやった。概ねいつも神経質で発作的に激怒し、反射的にどなったり殴ったり。と思うと、ラフマニノフに聴き入り、借金までしてタマの出ない台でパチンコをつづけた。

子供心に辺見さんは、そんな父を「お化け」のようだと思った。母は「あの人はすっかり変わって帰ってきた」と言い、夫が「お化け」になったのは戦争のせいだ、中国で何かがあったのだと決めつけていたという。

私は自分の身と引き比べつつ辺見さんの文章を貪るように読んだ。私の父も若いころ神経質で怒りっぽく、パチンコ通いをした。が、暴力は振るわなかった。彼は外地に出征しなかったので心に傷を負っていない。私は恵まれていたというべきか。

ヌクヌク育った私と違って辺見さんの生い立ちは凍てついた風景の中にある。しかも彼はそれを仮借なく描く。『1★9★3★7』には思わず生唾を呑み込む場面がいくつもあるが、これもその一つだろう。

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