現代ノンフィクション
2015年11月27日(金) 安田浩一

「差別」「排斥」はニッポンの娯楽になってしまったのか?
~そしてヘイトスピーチがこの国を侵食する

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〔PHOTO〕gettyimages

文/安田浩一(ジャーナリスト)

結局、ネトウヨと呼ばれる人たちは何をしたいのでしょうか――。

単行本刊行から3年半が経過したいまも、私と同じくマスメディアに属する者たちから、こうした質問を受ける機会は多い。もちろん、できる限り誠実に答えたいとは思っている。

騒ぎたいだけ。目立ちたいだけ。仲間を見つけたいだけ。差別が娯楽になっている。歪んだ正義に酔っている。攻撃的になることで自我を支えている。不安や不満をぶちまけているだけ。

取材経験をもとに個別の事例を用いて、それなりの"解説"を試みても、しかし、膝をぽんと叩くような答えが私の口から飛び出てくるわけではない。当事者でもないのに、そもそも歩幅も速度もバラバラなネトウヨの"目的地"を明確化できるわけがないのだ。

すると少なくない記者は少しばかり不満げな表情を浮かべ、小さなため息を漏らし、こう言うのだ。

「まあ、いずれ淘汰されていくのでしょうけれどね」

私が取材を重ねてきた在特会に限定すれば、おそらくはそうだろう。そうであることを私も願っている。だが、在特会が存在感を失えば、それでよいのだとでもいうような物言いに、私もまた軽く舌打ちしたくなる気持ちにもなるのだ。

在特会が結成された直後、全国各地で"差別デモ"が繰り返されるようになったとき、メディアの多くはこれを無視した。

編集者も、知り合いの記者たちも「いつの時代にもバカなヤツはいるのだから」と取り合おうとはしなかった。そしてそのときもまた、お定まりの言葉が私に向けられた。

「淘汰されるから、いつかは」「そのうち消えてなくなるよ」

11月に文庫化した『ネットと愛国 (講談社+α文庫)』。「ヘイトスピーチ」なる言葉を世に広め、問題を可視化させた、時代を映し、時代を変えた1冊。

このような声を聞かされていく中で、情けないことに私もまた、彼らの側に傾いていった。消えてなくなるなら、それでいい。一時的な現象であるならば、継続して取材を続けても仕方ない。

だが「消えてなくなる」どころか、デモの隊列は増え続けた。「一部のヤツ」どころか、あらゆる層にシンパシーを広げていった。

後出しジャンケンであることを自覚しつつ、私はいま、はっきりとかつての仲間たちを、そして自分自身を批判することができる。私は、私たちは、肝心なものを見ていなかった。

在特会の姿は視界に捉えていたし、醜悪な言葉を耳奥に記録してもいた。

だが、見ていなかったこともある。

それは――被害者の姿だ。

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