伊藤博敏「ニュースの深層」
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山口組分裂、それでも大抗争が起きない理由

「やくざの時代」の終焉か?

2015年09月10日(木) 伊藤 博敏
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〔photo〕gettyimages

司組長が離脱者に送った「通達文書」

本来なら、血で血を洗う抗争が始まっていてもおかしくないが、いまだ静けさを保っているのが、山口組分裂騒動である。

8月末に山口組を割って出た一派は、9月5日に定例会を開き、組長は井上邦雄・山健組組長、副組長は入江禎・宅見組組長、若頭は寺岡修・侠友会会長といった人事を明らかにするとともに、組名は「神戸山口組」で代紋は「山菱」を使うと宣言した。

「親」である司忍6代目を裏切って外に出た「子」の井上組長らが、山口組という名称も代紋も継続使用するというのだから「やくざの論理」では許されない。

だが、山口組のみならず全国の暴力団で、最も資金力のある戦闘部隊を持つと言われる名古屋の弘道会を支配下に置く司組長は、「軽挙妄動を慎め」と、文書で通達。また、山口組に戻りたい離脱者には、「寛容な気持ち」で接するように伝えている。

神戸山口組も同じだ。構成員約3000人で、全国的には約1万人の山口組の3割に過ぎないが、神戸では圧倒、大阪でも五分の勢力を誇る。しかし、抗争を起こすことがないように厳命。それでも「夜の盛り場」でトラブルが起きかねないと、自警団を組んでパトロールしている。

両山口組の関係者はもちろん、警察幹部も他の暴力団幹部も、「山一戦争のようなことはない」と、口を揃えた。30年前にも山口組は、4代目襲名をめぐって分裂、山口組VS一和会の抗争となり、竹中正久4代目を始め25人もの死者を出したが、その“再来”はないというのだ。

第一に挙げられるのは、時代の変化である。

1984年の山一戦争勃発は、バブル経済の前夜だった。その後、旧住友銀行に山口組の企業舎弟が入り込んで3000億円を闇に流したといわれるイトマン事件、竹下登政権誕生に功績のあった稲川会会長への謝礼が、4000億円の債務保証となって東急電鉄仕手戦などに繋がった東京佐川急便事件に象徴されるように、バブル期、「裏の世界」の住人であるはずのやくざが、「表の社会」を侵食し始めた。

これを放置できなくなった国家権力は、92年施行の暴対法を皮切りに、改正を重ねて組長の使用者責任を厳格にし、11年には暴排条例を全国施行して、やくざの糧道を絶った。違法行為はもちろん、合法的な事業も禁じられ、配下の組員が犯した罪でも組長が被って賠償責任を取らされる。

がんじがらめのなか、暴力団社会は衰退を余儀なくされ、暴力団の構成員と準構成員を含めた数は、毎年1割減が続いて、14年末には約5万3000人となった。

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