小川和也の「デジタル・ドリブン」

日本のテクノロジー教育の未来について

下村博文文部科学大臣に聞く

2015年09月06日(日) 小川 和也
upperline

日本の情報教育は、他の先進国と比べて50歩遅れている、とも言われる。教育行政のトップである、文部科学大臣は、この問題をどう考えているのか。小川氏が切り込む。

「時間をかけて変えていく」しかないのか

小川:高度化するテクノロジーによって、人間に求められる能力や教育が浮き彫りにされる過渡期にあると思いますが、日本ではインターネットやタブレット端末等を教育現場に取り入れるべきか否かの次元でまだ戸惑っています。是か非かが微妙だから、とりあえずSNSのようなコミュニティ系のものは禁止しておこうなど、やや頭ごなしの場合もあるという印象です。

下村:いつの時代でも、進歩、発展に対する拒否反応というものはあるものです。急激であればあるほど、得てして拒否反応は大きいものです。一方で、テクノロジーの発展、時代の変化に対しては抗しがたいものがあります。ですから、それは本質的な反応とはいえませんね。

しかし、科学技術が世の中の全てを良くしている訳ではなく、負の部分もあります。負の部分をもって止めさせるということではなく、どのような制限をするかという工夫が必要ですね。子供の発達段階に応じて、知るべき情報とまだ知る必要がない情報というものがありますから、フィルターは重要です。だからといって、一切使うなというのは適切ではないと思いますけどね。

小川:何が必要で何が不要か、それは何故なのか、そのようなことを自ら考えられる力。それを身につけること自体も教育ですね。

そのフィルターが充分に機能しないままインターネット内には玉石混淆の大量の情報が溢れ、情報過多であることは確かです。情報の質の良し悪しはさることながら、大量の情報に浸る中で、情報、知識、思考の違いが混同される場面も増えている気がするのですが。

下村情報そのものが知識として、それがその人の能力として評価されたのが近代工業化社会でした。でも世の中は変わりました。しかし、学校教育にはその感覚がまだ残っていたり、前時代的考え方をいまも持っている人がたくさんいるのが現実ですね。

小川そこは時間をかけて、根気よく変化させて行くしかないのでしょうね。

下村情報化社会の最先端にいればいるほど、情報を持っているだけでは本当の知恵ではないし、人間の能力は情報を持つことだけではないということが良く分かる訳ですから、そこで自ら学ぶということが大事だと思います。

学校教育そのものも、いままでのような知識伝達型ではなく、主体的に課題を解決して行く能力、無から有を生むような創造力、人との共感力、そのような能力を問うような教育体系に変えていくことが必要です。

1
nextpage



underline
アクセスランキング
1時間
24時間
編集部お薦め記事
最新記事