読書人の雑誌『本』より
2015年07月31日(金) 保坂正康

【戦後70年特別企画】
昭和史研究の第一人者が決意の激白 
安倍首相の「歴史観」を問う!

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〔PHOTO〕gettyimages

戦後70年に言い残さなければならないこと

 

安全保障関連法案の審議が続き、昭和史の教訓とは何だったかに関心が集まる中、昭和史研究の第一人者・保阪正康さんの新刊『安倍首相の「歴史観」を問う』が出版された。なぜ歴史家が、現在の政権批判を展開したのか? そのやむにやまれぬ思いを聞いた。

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戦後70年という最後の機会

戦後70年という節目の年にあって、まず、太平洋戦争を体験的に認識している世代がいまどのくらい残っているかを考えましょう。

私は敗戦の年に5歳でしたが、戦争を自覚するという意味では、やはり当時15歳くらいだった人たちです。法制上から言っても、昭和20年6月からは男子で15歳になれば義勇兵役法によって兵隊に引っ張られることになっていました。そうするとその人たちは現在85歳以上で、これは現在の人口比の中で5%を切っています。

保阪正康さん(撮影:岡田康且)

戦争体験の中核ともいえる戦場での体験を持つ人となると、敗戦時に20歳以上として、現在90歳を超えるわけです。これは戦後50年、60年のときとは明らかに違う。つまり戦後70年とは、戦争体験者自身が戦争を語りうる最後の機会と言っていい。これ以降は、もう当事者が語る戦争体験(とくに戦場体験)は消えていくことになると思います。

現在メディアで語られている戦争体験を注視していると、末端の現象の恣意的なつまみ食いばかりで、体験者の生き死にに関わるような本質的な証言が極端に少なくなっている。これは太平洋戦争が同時代史から歴史に移行したということを意味するのでしょう。

たとえて言うと、織田信長の同時代の人びとは、信長に背いたときの恐怖を絶えず抱いていたはずです。しかし歴史の中では、信長は全国統一を目指した先駆的な武将だというような評価が中心になっていく。つまり一つの事実をめぐって、同時代においての評価と、歴史の中での評価というのはまったく変わることがあるのです。それが太平洋戦争についても言えると思います。

歴史修正主義

そして、ここに歴史修正主義が生まれる素地があります。

歴史修正主義者は、史料を元に歴史的事実を解釈するのではなく、はじめから旗を立てるんです。「大東亜戦争は聖戦だった」とか「日本は侵略していない」とか。そしてそれを立証すると称して末端の現象を勝手に拾い集めてくる。

たとえば、昭和20年5月8日のドイツの敗戦から3ヵ月強の間、日本は無謀にも一国で世界を相手に戦った。そのときアメリカは援助と引き換えに南米などの直接戦端をひらいていない国にも、日本に対して宣戦布告させるわけです。それは全部で60ヵ国近くになったと思います。サンフランシスコ講和会議に出席した国だけでも52ある。

これを同時代史から見ると、世界から孤立して袋叩きにあったような状態であり、愚昧な指導者がひどい戦争を最後まで続けたということだけれど、歴史修正主義者からすると、日本は勇敢にも60ヵ国を相手に聖戦をやった、ということになりかねない。歴史の中ではそんなとんでもない発想がまかり通ることがあり得ます。

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