読書人の雑誌『本』より
2015年03月25日(水) 原武史,奥泉光

原武史×奥泉光「皇后たちの祈りと神々」
『皇后考』刊行記念特別対談

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母と息子の確執

原武史(はら・たけし) 1962年生まれ。明治学院大学教授。著書に『大正天皇』(毎日出版文化賞)『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)『「民都」大阪対「帝国」東京』(サントリー学芸賞)『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞)など。

奥泉: 近代天皇制の研究といえば、これまでは当然、天皇が中心でした。原さんご自身も『大正天皇』(2000年)と『昭和天皇』(2008年)という著作をお書きになっていますね。原さんの天皇論は、外からは見えにくい宮中祭祀に着目し、戦前と戦後の連続性を浮き彫りにするものでした。僕はなんとなく戦前と戦後で近代天皇制は劇的に変わったというイメージを持っていたので、この視点はとても刺激的でした。

今回はなぜ、脇役と見られてきた皇后を主題にしようと思ったのですか?

原: 最初に大正天皇の研究を始めたときは、天皇を追いかけるだけで精一杯でした。大正天皇についてはまともな研究が一つもなくて、完全な空白になっていましたから。

大正時代は短いうえに、大正天皇の生涯の前半は明治にかかっていて、終わりの5年は皇太子(裕仁)が摂政になっている。だから、大正天皇を研究していると、自然に明治と昭和を両にらみにすることになるんです。それで次に昭和天皇の研究に移りました。

昭和天皇のことを調べていくと、昭和天皇とその母・皇太后節子(貞明皇后。大正天皇の后)との微妙な関係が、すごく重要なポイントだと気づきました。これは天皇だけを見ていてもダメだな、と。だから『昭和天皇』を書き終えた段階で、いずれ皇后や皇太后を中心的なテーマにする必要があると、うすうす思っていました。

奥泉: 『皇后考』では明治以後、四代の皇后が描かれていますが、その中でも貞明皇后が近代天皇制の中で果たした役割が非常に大きいのがよくわかりました。

明治維新のときに天皇を前面におし出して、大急ぎで万世一系のイデオロギーをつくった。宮中祭祀もほとんどが明治になってから新たにつくられた。明治天皇をはじめ、それを同時代で見ていた人たちは、それほど宮中祭祀には熱心になれない。その「フィクション」である宮中祭祀を「肉化」したのは貞明皇后だった、という理解でよろしいですか?

原: そうです。貞明皇后が神に対する信仰を深めていく大きな引き金となったのは、大正天皇の病気だと思います。原因不明の病で、どんどん体調が悪化していく。そのとき皇后は精神的な危機に陥った。大正10年(1921)には政治的な都合でなかば強引に皇太子裕仁が摂政になる。皇后としては、とにかく天皇の病気が回復してほしい、そのために祈る、という思いが強くあったでしょう。

それがやがて「神ながらの道」のような、一種の神懸かり的な強烈な信仰につながり、このことが昭和天皇との確執を生み出す原因にもなったわけです。

「天皇霊」の問題

奥泉光(おくいずみ・ひかる) 1956年生まれ。作家・近畿大学教授。著書に『ノヴァーリスの引用』(野間文芸新人賞)、『石の来歴』(芥川賞)、『神器――軍艦「橿原」殺人事件』(野間文芸賞)、『東京自叙伝』(谷崎潤一郎賞)など。

奥泉: 『皇后考』を読んで僕が一番おもしろかったのは、近代の天皇制を支える正統性がいかに多層的で複雑だったかという点です。万世一系という血のフィクションがあって、それを国民が支持した、という単純な話ではないんですね。今回の本では、とくに「天皇霊」の問題がクローズアップされています。

原: 折口信夫は、天皇の本質は血筋ではなく、「天皇霊」を授受することだと考えました。つまり、霊そのものが入ってくれば、誰でも天皇になれるというラディカルな思想です。大本教の出口王仁三郎もそれにかなり近い考えを持っていて、弾圧を受けています。

奥泉: それは政府にとって非常に危険な思想ですよね。ほかにも「三種の神器」の継承の問題があり、儒教的な「徳」という要素もあり、さまざまな正統性が交錯する磁場のなかに天皇制があった事実が描き出されている。とても魅力的な視点だと思いました。

原: 正統性の根拠が一元的でなかったからこそ、そこに皇后が入り込む余地があったとも言えますね。たとえば、大日本帝国憲法第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定しながら、歴代の天皇は大正末まで確定していませんでした。イデオロギーに見合う実態は、その段階まで未完成だったわけです。そういう文脈の中で、貞明皇后の振る舞いを理解する必要があります。

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